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読書をしながら、子育てしながら、お仕事しながら、人間の内面についていろいろ考えたりする毎日

バレンタインの工作

ちょっと前ですがこどもたちがバレンタインにパパにチョコを作ってあげました。

 

チョコはキットを利用して手軽に作りました。うさぎやくまの型に溶かしたチョコとコーンフレークを入れて冷やし固め、デコペンでお顔を描きました。

 

これはチョコを入れる箱です。

 

箱にじゃばら折りした色画用紙で、家族の絵を貼りました。

 

まずはパパがいます。

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開けると ママとこどもたちがびよーんと出てきます。真ん中の上の子はチョコの箱を持って振り回しているそうです。パパに会ってチョコを渡す様子だそうです。

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 お菓子の箱は、外側をきれいな紙で飾る?と提案してみたのですが、いや、このままにしておいたら、パパはチョコが入ってるとは思わなくてびっくりするだろうからあえてこのまま、だそうです。

どうして拡充学習をしようとおもったか

「才能」ということばについて考えていて、なぜ拡充学習というものに興味を持ったかの話しを書きたくなりました。

 

あまりこのブログでは詳細に書き記したりしていませんが、うちのこどもたちは、世間の多数のこどもたちとは少し違うな、というところがあります。それはごくごく微妙な感じで、いまのところ幼稚園や学校の先生に問題にされたこともありませんし、なにか診断がついたこともありません。(もちろんよく見ればどのこどもも他の子とは違いますが…。)

日頃困るなとか配慮が必要だなと思うのは、こどもたちの持っている「敏感さ」です。とにかくささいなことに反応してショックを受けたり悲しくなったり固まってしまったりすることがあります。

なのでいちいちブログには書いていないのですが、日頃結構気を使っているし、まめに本人たちの話しを聞いたり、フォローしたりしています。学校についても悩むことは多いです。フリースクールについて真剣に情報収集することもあります。発達障害についてもものすごく本を読んだりして勉強しています。

それで、いままでは目の前のことに対応するのに精一杯だったこともあるし、こどもが困っていることをなんとかしてあげよう、楽しくなるようになにか工夫しよう、というスタンスがメインになっていました。

また、上の子が小学校に上がり、宿題をいやがるのでそれにおつきあいするのにものすごく時間とエネルギーをとられて、あまり家では実験とか工作とか自由遊びができないこの1年でした。

ある時ふと、受身に困ったことに対応するだけじゃなく、もっと攻めの姿勢が必要じゃないの?とおもったんですね。

自分が無意識に不得意なところをなんとかして社会に適応するには、という発想になっていたんじゃないかとおもいました。

そのためにできることのひとつは、よいところを伸ばしていって、他の人にはできないようなことで社会に役立てるようになればいいんじゃないか? そうすれば多少枠からはみ出しているところは問題なくなるはず。

それはなにもノーベル賞をとるような科学者を育てようとかそういう壮大な話しじゃなくていいとおもうんです。

適材適所的な発想で個性にあった職業を見つける、くらいのことかもしれないけど。

この子は気がきくから接客業が向いてるかな、この子はもしかして染織職人になったらいいかも、くらいのことかもしれないけど。

でも、自分が得意で、やっていてなんの苦痛もなく、そして直接でも間接でも誰かの役に立って喜んでもらえる。

そういうことがあれば、幸せに仕事をして生きていけるし、そして役に立つことで対価を得て、仕事をして自立していくことができます。

よく、スーパーのレジ打ちとかコンビニのバイトとか皿洗いとかなんでもやって生きていけばいいじゃない、という言い方をする方がおられます。その通りと思う一方で、そうした仕事に必要な実務の適性がまったくないわたしは、自分に適した仕事を見つけて、それにつくための準備が大切とも思います。

また、他の人に代替可能な仕事ではなく、その人にしかできないことで社会に貢献できれば、より自由に仕事のやり方や環境を調整することもできるようになります。必要とされれば、大事にしてもらえるということです。場合によったら不登校の経験があったり学歴がなくてもです。ブラックな環境で我慢しながら働かなくても済むことにもつながります。

 

平たくいえば、違うことを苦にしながら生きる生き方から、違うことで人の役に立ち、違うことを価値にして、他人に感謝してもらって幸せに生きる生き方に転換する、というのでしょうか。


そうした中で拡充学習に出会ったのですね。

拡充学習は限られた人のものではなく、すべての人を対象としたものです。

また個別に合わせていくことが大事なのです。

「楽しみ」をキーワードにしているので、本人の意思を無視して押し付けることなく、自主的に発展させていけます。

そうしたところがとてもひきつけられました。また以前から注目していた虹色教室が、実は拡充学習を目指して活動されていたこともわかり、自分の中でなにかがつながった気がしました。目の前の分類不能なこどもたちを、無理に分類、ラベル付けすることなく、ただそのままおもしろがることをやらせ、その子にあったやり方でそれを発展させていけばいいのです。

 

いまレンズーリの「創造的生産者」についての記事を書いていてなかなかまとまらないのですが、そこにも話しがつながっていく予定です。

拡充学習の実践例(マイコー雑記さん)

いつもためになる記事があがっているマイコー雑記さんですが、拡充学習を実践した1日の様子を記事にしてくださいました。

 

まだご覧になっていない方はぜひ見てみてください。

 

それにしても自然が豊かで美しい!!!

 

blog.goo.ne.jp

「才能」ということばが持つイメージ(追記あり)

レンズーリは、元々は才能教育が専門の方なので、才能ということばがよくでてきます。ひとつ前の記事で紹介した本もそうです。


ただ、わたしは「才能」ということばを聞くと複雑な思いがわいてきます。


なぜかというと、いま世間でこれが才能、と思われているのは、勉強ができて難関の学校に受かる、とか、バレエの才能があって厳しい練習に耐え、海外でプリマドンナとして活躍する、とか、サッカーでワールドカップに出るとか、そういう人が才能ある人、という捉え方が主流だと思うからです。

そういう人についてはそれはそれで別にいいも悪いもないのですが、才能とはそういうものでそれ以外は、才能じゃない、という捉え方には異議があります。

 

多重知能を提唱するガードナーのMI理論だってたったの8種類の知能しか規定していないのです。


困っていそうな人に気づいて、お手伝いできる、とか、誰よりも強いベイブレードを自作するとか、その場で笑い話を作って笑わせる、とか、人と違うおもしろい着眼点を持っているとか、日常のささいなできごとに幸せを感じられるとか、数かぎりない才能が人間にはあって、そういう才能は学校の勉強ができるようなことに比べたら地味で取るに足りないように見えるけれど、わたしが家庭での拡充学習をしていくにあたっては、いままでスポットライトがあたっていなかった才能を親が見つけて伸ばしてあげられたら、という思いが強いです。

他のところでほめられるようなことは、もう既に認められて、ほめられる機会があるのだから、それ以外のところを見つけて伸ばしてあげたい。

以前も書きましたが、ひとりの人間を地球とイメージした時、360度、全方位に伸びる可能性があって、そのうち認知され、開発されているのはほんの数パーセントだなあ、と思うのです。それ以外の広大な未開発地に着目したいです。

また、わたしたちは変化の激しい時代に生きていて、将来どんな才能、スキルが役立つかはいまの大人にはわからないのです。

少なくとも、大人の小さい価値観で才能の芽をつぶさずに、いろんな才能を伸ばしてあげられたらいいなと思います。

*2/22 追記

 

才能」ということばの定義に関しては前回紹介したこちらの本にあった定義がもっともだとおもったので引用します。

本当の「才能」見つけて育てよう―子どもをダメにする英才教育

本当の「才能」見つけて育てよう―子どもをダメにする英才教育

 

「すべての子どもには才能がある」というのは、その意味づけ(定義)によっては正しいといえます。何かの教科に優れた子供は才能があるし、スポーツや音楽、芸術での優れた能力、あるいはゲームやマニアックな趣味で発揮される能力も才能です。しかし才能をある特殊な分野の知識・技能がふつうの人より優れた少数者(全体の数パーセントとかもっと少数とか)に限定すれば、すべての子供が何らかの分野で才能者である可能性は、現実には低くなります。

でも、集団の中で上位にいるかという他人との比較ではなく、「すべての子どもは、他のものよりずっと興味をもって、その学習に没頭できる、そして上達する何かが必ずある」という意味で「どの子にも才能がある」というのは正しいのです。その才能は目覚めて育つ日を待っています。

 

「本当の「才能」見つけて育てよう」

 

本当の「才能」見つけて育てよう―子どもをダメにする英才教育

本当の「才能」見つけて育てよう―子どもをダメにする英才教育

 

 

レンズーリの著作本は絶版のようなのですが、翻訳者の方が出しているこちらの本に拡充学習のことが出ています。概要をつかむには十分ですし、日本語も読みやすいです。

 

タイトルは「?」ですが、中身は多様な才能をどうみつけて育てるかについてかかれたまじめな本です。

 

また、レンズーリ以外の才能教育に関する理論も紹介してあるので参考になります。

 

子どもがいろんなことを学んでいく際の個性、つまり得意なところと苦手なところをうまく見つけて、学ぶ力を最適に伸ばすという問題について考えます。親の思い込みで子どもを枠にはめてしまうのではなく、子どもの本当の才能を見つけて、尊重して育みましょうというのが願いです。とくに発達障害をもつ子どもたちについても、「いいところ」を見つけて、伸ばして生かそうという発想で、子どもたちに合った学習環境を、家庭や学校で整えていただければ幸いです。(「まえがき」)より

 

 

 ただ、レンズーリの本はなにがどう、というのは難しいですが、レンズーリの情熱、というか熱い思いというかそういうのが伝わってきてなんだかすごく刺激されるところがあります。

 

それに比べるとこちらの本は、わかりやすくまとまっているのはいいのですが、それでわかった気になっちゃっていいのかな?ともおもったりして。

 

「なんだかわからないけど、こどもと一緒に楽しく成長していきたい!」という気持ちを大切にして活動していけたらなとおもいます。

 

わからないままでいる、枠からはみ出る、無駄や脱線を楽しむ、そんな時間を親子で楽しめたらいいですね。

 

 

 

テレビごっこ→劇ごっこ→絵本作り

うちの親子で、またはこどもだけで行われるこまごまとした活動を記録してみようと思いたちました。拡充にあてはまるかどうかというと、それ未満かもしれませんので拡充の「種」かもしれません。

 

でもこうした活動が発展していくことも十分あります。

 

記録することで、後で振り返って関連性に気づいたり、発展する方向が見えたり、するかもしれないとおもいましたのでやってみます。

 

 

テレビごっこ→劇ごっこ→絵本作り

 

家では歌ったり踊ったりミュージカルや劇を演じてくれたりする下の子。

 

きょうはこんな遊びをしました。

 

最初はママがピッとリモコンでテレビのスイッチを入れる振りをすると、テレビがついてテレビの中の人になっていろんな番組をしてくれる遊び。

 

まずは天気予報、その後「雪のお姫様」をみよう、といってピッとスイッチを入れてみました。するとちょっとまっててね、といって着替えてきて演じてくれました。

 

ちなみに「雪のお姫様」というのは下の子が時々上演してくれる劇のシリーズ名です。お話しはその時々で変わりますが、例えばあるところにゆきのおひめさまがいて、最初はお城の暮らしの様子が出てきて、そのうちにおふとんに入って寝てしまうおひめさま。でてきたおひめさまは春のおひめさまに変身していましたとさ、とかそんなお話しです。

 

きょうは「ゆきのーおひめさまーがー」と歌ったり歌いながらお話しを作ったり、見えない誰かと寸劇を演じたり、楽しいプログラムを見せてくれました。

 

その後、絵本作って、とおねだりしてそこにゆきのおひめさまのお話しを、大人に手伝ってもらってかきました。

 

春はもうすぐ?

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わが家に素敵なお花がやってきました。

 

花屋でつぼみの状態の球根を買ってきたのですが、こどもたちそれぞれのお花、ということにして毎朝のお水替えをお願いしています。

 

水色のムスカリは小さなベルの形の花が次々に咲くのが愛らしく、赤系の球根はチューリップの原種だそうで、大ぶりのつぼみが徐々に色づいて開いていくのがゴージャスです。

 

ちなみに以前アボカドの種もお水につけて発芽に成功しました。それそろ土に植えてあげなければ。

 

すぐに枯らしてしまうので園芸は苦手分野ですが、植物を身近に感じたいし、お花があると癒されるのでいいですね。

 

お水で育てると根っこの様子も良く見えますね。観察したり、これはどうなってるんだろう?と疑問がわいたり、拡充学習の種としてもよいとおもいます。