「人生タクシー」
ひさしぶりに映画館に映画を見に行きました。
どういう映画なのか、ひとことでいいあらわすのが難しいです。でもとてもよかったです。
タクシーの車載カメラになにげなく映し出される人生の悲喜こもごも。
ドキュメンタリーのような、それにしてはあまりに緻密に構成されていて完成度が高すぎるから、やっぱりフィクションのような。
イラン当局から映画撮影を禁止された監督が、監視の目をかいくぐってタクシー運転手になって撮ったというシリアスな映画なはずなのに、人々の日常がユーモラスに描かれていて、だけどそこにところどころ強盗とか逮捕とかシリアスなテーマが顔を出すので、いちいち笑っちゃいけないのか笑っていいのかわからない宙ぶらりんな感じに。
イランでは言論や表現の弾圧が行われていて、ジャファル・パナヒ監督は、実際にイランでの映画撮影を禁じられ、過去に逮捕されたこともあり、厳しい状況で生半可な気持ちでこの映画を作ったわけではないでしょう。映画の中でも、とある女性がバレーボールの試合を見に行っただけで逮捕されるエピソードが出てきます。
でも、映画の中の監督の微笑みはすばらしい。映画にあふれるユーモアの感覚もまた、すべてを笑ってしまう最強の武器となっているし、受け手の心に大切なテーマがすっと入りやすくするために重要な役割を果たしています。
そう、ユーモアや笑顔を武器に。
公式サイトにある監督のコメントが素晴らしいので紹介します。
私は映画作家だ。
映画を作る以外のことは何も出来ない。
映画こそが私の表現であり、人生の意味だ。
何者も私が映画を作るのを止める事は出来ない。
何故なら最悪の窮地に追いやられる時、
私は内なる自己へと沈潜し、そのプライベートな空間で、
創作する事の必然性はほとんど衝動にまで高められるからだー
あらゆる制約を物ともせず、
芸術としての映画は私の第一の任務だ。
だから私はどんな状況でも映画を作り続け、そうする事で敬意を表明し、
生きている実感を得るのだ。
ジャファル・パナヒ
「大きい1年生と小さな2年生」
上の子におすすめするおもしろそうな本を探していてみつけました。
作者はおしいれのぼうけんやロボットカミィなどで知られる古田足日さん。
おもしろそうな本見つけたから借りてきたよ!と声をかけると自分で読んで、この本おもしろーい!といっていました。半分くらい読んで、後は結末が知りたくなってペラペラ後ろの方めくってましたが。
そこでわたしも読んでみたのですが、これは!おもしろいにもいろいろありますが、なかなか奥深いおもしろさです。
身体は大きいけどこわがりで泣き虫の1年生、まさやと、身体は小さいけど、気が強くて年上の男の子にも向かって行く2年生、あきよの心の中が手にとるように描写されて見事です。
毎日の出来事やちょっとした冒険をとおして、それぞれに成長していく2人。
同い年くらいでこの本に出会えた幸運なこどもは、まさや、あきよと一緒に冒険をしながら、心が成長していけるでしょう。
まさやは、あきよの背中を追いかけて、こんな時あきよならどうする?と考えながら新しいことにチャレンジしていくうち、いつのまにかひとりでいろいろなことができるようになっている自分に気がつきます。
あきよは身体の小さいことを気に病んでいるけれど、自分がまさやに憧れにも似た気持ちで尊敬されていることを知ると、心が大きく広がっていって、いつか身体が小さいことなんてどうでもいい、と思っている自分に気づくのです。
また、ふだんはおっとりしていて「けんかしちゃ、いやよ」、といっているまりこは、いざという時に観察力の鋭さでみんなを助けます。
こんな本を小学1年生、2年生で読めたらいいですね。
こどもの学校にもおいてあるそうなんですが、うちの子は読んだことなかったみたいです。
またまた本の薦めかたについて悩むところですね。
1970年に発売されたこのお話が、いまもいきいきと人の心をつかむ、ということは、人の心の動きの根本のところには古今東西変わりがないのだなあ、と実感させられます。だから何百年前に書かれた古典小説や物語も楽しめるんですね。
勉強人と学習人
五味太郎さんのこちらの本を読んでおもしろかったことです。
「勉強」ということばにひっかかりがあると語る五味さん。勉強を辞書で引くとその意味は無理にでも努力して励むこと。
ここの風土は基本的にそうですよね。つらいことをすれば幸せになれるっていう考えね。変なの。
それに対して、学ぶ、学習する、というのはまったく違うものだと。
ー学習という言葉が出ましたが、勉強と学習とは、違うのですか?
違います、違います、ぜんぜん違います。「学ぶ」というのは、どう考えたって自動詞です。空海さんが学ぶ。僕が学ぶ。ようこさんが学ぶ。学ぶ主体があるのですね。「習う」というのは、僕が興味あることについて、僕がたどる、沿う、真似る。習いながらアレンジメントしていく、つまり再構成していく。そのときに、沿いきれないものがたくさんでてくる、それが個人のさらなる学習作業です。
勉強という言葉自体、「勉強させる」「勉強させられる」というニュアンスなのね、つまり個人的必然のないままに、ということです。聖徳太子に興味がないまま十七条の憲法なわけです。そのうち興味が湧くであろう、湧いてもらわねば困る、という具合。なかなか湧くもんじゃないのね、そんなことに。でも試験なのさ。だから仕方なく憶えるの、十六条の憲法なんて書いたら×さ。
おもしろくて全文引用したくなりますが、我慢して、話は先へ進み、「勉強する人」と「学習する人」の違いに発展します。
ー馬鹿というのは、勉強できない人という意味ですか?
学習できない人のこと、勉強しかできない人を馬鹿っていうの。
ーこなす人?
対応するのに努力している人、対応力だけがついた人。だって十数年間もその訓練だけ真面目にやってきたんだもの、勉強していれば、ある程度一般教養が身について、まあまあの大人になったつもりでいるというのが馬鹿なんですよ、だからたとえば「何故そうなるのですか?」なんて質問されたりすると、「いやあ、そういうことになっているんですよね」なんて答えるしかないような......
とくに学校的な勉強はできなくても反応できる人というのは、学習する人なんです。わからなければ学習すればいいと考えられる人なのです、大人ぶらなくてもいい人です。
ずっと勉強ばかりしてきた人は、当然現世に反応できにくい、子供に対して言うことがないんです。で「せめて高校までは出てくれ......」とか「それができないのならオレは知らん、家を出て行け!」なんてキレたりするわけです。めちゃくちゃです。でもあまりにもよくあるパターンだね。そしてやがて生来の学習人が勉強人化してゆくわけです。気の毒なことに。かわいそうに。
勉強、学習ということばに関連付けて考えたことはなかったですが、わたしもいままでここで勉強人と表現されるような「思考停止した人」問題についてはつらつらと考えていたのですよね。自分のやりたいを押し殺して、こうすべきことを義務でやっていった結果、自分がなにをどう感じているか、わからなくなっている人。自分の頭で考えることをやめてしまった人。そういう人ってたしかに即座の反応が鈍いです。そして素の自分で勝負することが苦手です。どの人もみなあまり楽しそうでない。重い感じ。軽やかでない。
いまこの瞬間の状況に瞬発的に反応するっていうのが一番的を得た対応だとすると、思考停止した人には、まずいまの状況(例えば目の前の子供の状態)が把握できにくい、目や耳から入って行きにくい、そしてちょっとずれた対応になっていく、というのがわたしの印象です。その人なりに一生懸命なんだけど、ずれにずれが重なってうまく行きにくい、成功率が低いというか。人間関係やコミュニケーションとして考えても、相手としてはやはりいまこの瞬間のわたしを見てくれない、反応してくれないと感じるでしょうから、うまく行きにくいのではないかとおもいます。
なのでこの文章にも共感。
今、勉強人が主流であることは間違いなく、その人々が作り上げてきた社会があちらこちらで破綻してきているということです。つまり勉強人じゃ無理なのよねえ、という感じに満ちているわけです、世界的に。勉強人が作る社会は脆いのよね、危ういのよね、つまらないのよね、息苦しいのよね、と学習人が言い始めているわけです。
いまは過渡期な感じですよね。不安を煽っておもしろがったり儲けたりする人もいますが、「反応できる人」ならば、変化に瞬時に対応出来るので心配ないとおもうのです。もしかしたら「思考停止している人」「こなすだけになっている人」には厳しい局面かもしれません。でもそれは、そういう人が自分を見つめ直すチャンスなんじゃないかなとも思うんです。
きっときっぱり2つに分けるこういう言い方はわかりやすいけど、自分の中でも反応できる時もあれば、思考停止している時もあると思うので、実際にはその中間のグレーな段階がたくさんある気がします。
自分でも時々こういうことを意識していたいです。
「だいすきがいっぱい」
だいすきがいっぱい (主婦の友はじめてブック―おはなしシリーズ)
- 作者: ジリアンシールズ,ゲイリーブライズ,Gillian Shields,Gary Blythe,おびかゆうこ
- 出版社/メーカー: 主婦の友社
- 発売日: 2007/09
- メディア: 大型本
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図書館でこんな絵本に出会いました。
この表紙の女の子の寝顔、かわいいですね。ぬいぐるみのくまも幸せそう。
白いけがわに赤いちいさなぼうし。胸のまんなかには、音楽をかなでる魔法のねじ。くまのぬいぐるみは、自分のなにもかもがじまんです。「ぼくのなまえは、『さわらないで!』」おみせにいたとき、自分の横にそう書いてあったので、くまはそれが自分のなまえだと思いこんでいました。そして、そのとおり、さわられるのがだいきらいでした
ある日女の子のところにやってきたぬいぐるみのくま。赤い帽子もふわふわの毛皮も、胸についているねじも、それをまわすと歌をうたえることもなにもかも自慢だったけど、赤い帽子は風にとばされ、雨ざらしになって毛皮もきたなくなり、胸に入っているオルゴールは雨に濡れてこわれて鳴らなくなります。
女の子は手術してあげましょうね、といって胸を切ってオルゴールを取り出し満足そう。がっかりしているくまには気がつかず、「この方がずっと抱っこしやすくなったわ」といって毎晩くまと寝るようになります。
「どうしたの?」
ふるぼけたももいろうさぎが、くまにやさしくこえをかけました。
「ぼく、だいじなものを、ぜんぶなくしちゃったんだ。もうだれも、ぼくのことをほめてくれないだろうなあ......」
くまはべそをかきながらいいました。
「ほめてもらわなくたっていいじゃない。だいすきになってもらうほうが、ずっといいでしょ」
「だいすきって?」くまは、うさぎにたずねました。
「しらないの? くまのぬいぐるみには、だいすきがいっぱいつまってるのよ」
ももいろうさぎはわらいながらいいました。
「ほうしとか、けがわとか、ねじとか、そんなものどうだっていいじゃない。どうせいつかはとれちゃうんだから。ほんとうにたいせつなものはね、いつまでもじぶんのむねのなかにあるのよ」
このとき くまにはうさぎのいってることがよくわからないのですが、この後ある事件をきっかけに、「だいすき」ってこういうことなんだと知ります。そして「だいすきがいっぱいつまったくま」になるのです。
だいすきってどういうことか、具体的に描写してあるところもいいです。愛とかだいすきなきもちとか、説明が難しいけど、この絵本をよんだら、こどももそういうことか、そうだよねっておもえるんじゃないかとおもいます。
毛皮が汚れてもオルゴールが壊れても、女の子に愛されて幸せなくま。だいすきがいっぱいつまったくまの幸せ。
いつか失われるものもたくさんあるけど、ほんとうに大切なものはいつまでも自分の胸の中にある。そういうことは、なかなか日常生活ではお話しないけど、伝えておきたい大切なことです。
そんなことも絵本を通じて感じてもらえるかなとおもいます。
とても素敵な絵本です。挿絵は女の子の表情がよく捉えられているのがいいです。不安な顔、集中してる顔、くまをお世話してる時の顔...。
残念ながら絶版のようなので図書館で探してみてくださいね。
こちらのサイトで詳しく紹介されています。
プログラミングにプチ挑戦体験
先日上の子がたまたまEテレの「Why? プログラミング」という番組を見て、プログラミングに興味を持ち、「ゲーム作りたい!」といいました。
すると、こどもと一緒にプログラミングをやりたくてうずうずしていたパパがここぞとばかりに登場して、スクラッチというプログラム言語を使って、こどもたちと一緒に初プログラミングに挑戦しました。
自分の描いた絵がくるくる回るだけですが、うまくできて喜んでいました。下の子も見たり参加したりして大喜びでした。
こういう瞬間って、すごくいろんなことの準備が花開いたなって思う瞬間です。
こどもがやりたい!っていった時にやらせてあげられて、楽しい!って体験させてあげることができました。
でもここに至るまでに地味な親の下準備があるんですよね。
まず、うちはなるべく刺激を少なくする生活をこころがけていて、テレビはまあ普通に見ているけど時間制限しているし、見られる番組もなんとなく制限があります。ゲーム機は買い与えていません。親の選んだゲームがiPadに入っていて、たまにする程度。
そしてプログラミングはパパがいつでも教えられるように準備していたんですよね。
そこにたまたまテレビで見た番組がきっかけで、ゲームって作れるんだ!というイメージがわき、作る方にいったんですね。
あと、日頃から「欲しい!買って!」っていわれた時に「あんなの作れるんじゃない?」など自分でなんとかしてみるよう促しています。少し前に下の子が、お友達の上履きにかわいいキャラクターがついているのがうらやましくて、自分もあれがほしい、買ってといってきたのですが「へーそうなんだ、じゃあ自分でお絵描きしてかわいくしたらどう?」といったら「いーねー!」と盛り上がって油性ペンでカラフルな絵を描いていました。仕上がりにもご満悦です。
こどもが自発的に興味を持って、チャレンジして、うまくいった!と思うという一連の流れはこども自身がしていることですが、それをたくさん起こすために、できるだけ親が環境を整えておけたらいいなと考えています。芽が出るものも出ないものもあるでしょうが。
これからも、たくさんの「やりたい!できた!うれしい!」という体験ができるようにしてあげたいです。
「いじめられっ子の流儀」
こう言われたら、こう切り返せ!
いじめに屈しないために、知恵と機転でいじめっ子をひねり返す技を伝授。「ほめ言葉」「賛同」「質問」などのテクニックを駆使し、意地悪の連鎖を断ち切る。
主な目次
なぜ、いじめやからかいが起きるのか?/いじめっ子やからかう子への三つの対処法/金塊さがしと偏見/いじめっ子への対処法(さらなる二つの方法)/侮辱やからかいに対して、すべきこと、すべきでないこと/決断を下し、誓約を行なう/実践する/アイディアを実行に移す/最終的な見通し/反・意地悪の用語集/保護者への情報
なんだか衝撃的なタイトルと装丁になっていますが、内容に怖いところはない実用書です。シリアスないじめまでいかなくても、ちょっとしたからかいや悪意のあることばにも対応できる、便利なコツがたくさんのっていて使える本だとおもいました。訳した人のコメントによると原著タイトルはHow to handle Bullies, Teasers, and other Meaniesで「いじめっ子やからかう子、意地悪な子への対処法」だそうです。
はじめに
これまで、いじめっ子や意地悪な子に動揺させられたことは何回ありますか?
数え切れないほどあるというあなた、これはあなたのための本です。もうあなたは誰かの被害者となり、つらい気持ちを味わうことはありません、かといって、自分の身を守るために、あなた自身がいじめっ子や意地悪な子のようにふるまう必要もないのです。実は、周りの子の気に触る行動を冗談に変え、あなたが快適に過ごせるようにしていくことは可能なのです。この本では、その方法を教えます。
もしもあなたが人間ではなく、動物だったとしたら、いじめっ子の存在は大問題です。動物の場合、自分を痛めつけてくる相手に対してとれる道は二つしかありません。「闘う」か「逃げる」かのどちらかです、でも人間であるあなたには、第三の選択肢があります。あなたは「考える」ことができます。あなたは頭を使うことで、いじめやからかいというくだらないやりとりを止め、最もひどいいじめっ子を友達にすら変えることもできるのです。
このはじめにの文章だけで、いままでにない画期的な視点がもたらされています。意地悪なことをいわれて、「同じように意地悪なことを言い返す」か「我慢して黙っている」の二択ではなく第三の選択肢をとることができるのです。
まず、いじめっ子はどうやっていじめっ子になったのか解説している部分がおもしろかったです。以下に要約してみます。
生まれながらのいじめっ子はいない。その子の人生のどこかでより強大ないじめっ子によって、小さないじめっ子へと変えられたのだ。「大きないじめっ子」は小さないじめっ子を「自分は小さくて弱い存在だ」と感じさせた。小さないじめっ子は、周りの子に手出しをして相手が困ったり動揺したりするところを見ると一瞬だけ自分が強く大きくなった気がする。いじめっ子らしいふるまいを繰り返すうちに、その子はみるからにいじめっ子らしくなる。しかし本当はその子はいじめっ子という服を着ているだけ。実際にはその子は荒削りなだけで、いずれよい行動ができるよう磨かれていく可能性のあるこどもだ。
こうした視点にたって知恵のある対応をし、相手の中に隠れている「よくなる可能性のあるこども」に働きかけることで、意地悪する気をなくさせたり、よい部分を引き出したり、笑わせたり、場合によっては友達になれたりということが起こります。
例えばこんな会話の例が紹介されています。
「あなたのお母さんのブーツ、ごつくてまるで戦闘用みたい」
A 「だから何?あなたのお母さんなんてめ牛みたいに太ってるじゃないの!」
B 「本当に、そうなのよ。うちのお母さん、昔からすごくおしゃれなの。」
Aのような返答をしてしまうのは簡単です。いじめっこの発言の模倣ーいわゆる「猿まね」ーをしただけです。Bの返答には、人間としての知恵が求められます。相手の侮辱の言葉をほめ言葉へと転じることは、いじめっ子という服の中から抜け出せずにいる「よくなる可能性を秘めたこども」に向かって、はなしかけていることなのです。
とにかく、具体的に意地悪なことを言われた時どう対処するかというテクニックが満載の実用書です。侮辱をほめことばに、質問する、相手に賛同する、ということからはじまりさまざまな対応のバリエーションが学べます。
こんな返しも秀逸でおもわず笑っちゃいます。
いじめっ子 お前なんか地獄へいっちまえ!
知恵の人 お前こそディズニーランドにいっちまえ!
いじめっ子 お前、とにかく黙っとけ!
知恵の人 お前、とにかくホットファッジサンデーでも食ってこい!
小学生(の親)の必読書といってもいいのではないでしょうか。
「ばかとかあほとかいわれたらなんていえばいい?」「意地悪なこと言われた時どうしたらいい?」と聞いてくるうちの小学生と一緒に研究してみようとおもいます。
もちろん大人同士でも使えるテクニックです!
五味太郎さんの大人向けの本
ひさびさに本屋さんに行ったらいろいろと出会いがありました。しばらく本の紹介の記事になるかもです。
とりあえず、自分の中で事件だったのがこの本との出会いでした。
五味太郎さんは以前インタビュー記事も読んで、かなりおもしろい人だとは思っていましたが。この本を何ページか眺めたところ、自分の中をぴゅーっと風が吹いていくような感じがしました。
いま読んでいるところで、他の大人向けの本も取り寄せているのでまたご紹介するかもしれません。
なんていうか、かなり型破りです。タイトルからいって日頃「よいお母さんキャラ」でいろいろなことをごまかしている自分からするとえー?いいの?って感じです。
でもこの自分の中のいろいろなものが吹き飛ばされてすーすーする感じが気持ちよくもあります。
こちらの記事もなかなか言いたい放題でおもしろかったです。