子どもを「待つ」ということ
この記事を読んで、「待つ」ということにしばし思いをはせました。
子どもを「待つ」ということは子育ての中でキーポイントだとおもうのですが、どうやってやるのかイメージしづらい部分ですね。
わたしも、子育ての中で「待っていよう」なんて信念を持ってやっている訳ではないですが、結果的に待ってあげることができているのかな、と上の子といままで過ごした日々を振り返って思います。
なぜなら、困った状況がしばらく続いた後に、急激に事態が改善したり、本人が成長したり、ということを何度も繰り返していまに至っているからです。
少し繊細なところがあるので、ちょっとしたことで癇癪を起こすとか、不安で動けなくなるとか、そういうことがあります。小さい頃は特にひどかったかもしれません。
わたしはそういう時、自分ではただ困っているだけのつもりで、パニックにもなるし、相談したり調べたり、自分なりに必死でもがいたりあがいたりしています。
ただ、安易な解決法にとびつくことなく、正解がわからないならわからない、というところでしっかり止まっていることができるのが、どうもわたしの特技(?)のようです。
少なくとも自分の不安を解消するために、あせってこどもになにかさせることはなかったかな、とおもいます。
道路でこどもがじたばた暴れて動かなくなった時も、困ったとは思うのですが、困ったなあとおもいながら、はやく行こうよと声かけながらも、30分くらいはよく付き合ってました。
今年の夏も、こんなことがありました。
プールで1度むせて苦しくなってしまったことがきっかけで、こどもが「溺れそうで怖い、学校のプール行きたくない」といいだし、こちらも内心ものすごくあせりました。
他の人に相談すれば、口を揃えたように「スイミングスクールに入れれば一発よ!」といわれます。
もちろんどうしてもの時はそうするしかない、とは思いましたが、うたれ弱い我が子だからこそ、これを自力で乗り越えることができれば自信がついて後々財産になるかもという気もしました。
それで「全然上手くならなくてもいいし、泳げるようにならなくていいから、とにかく毎回休まずプールにいってごらん」といってしばらく見守ることにしました。うちではお風呂で潜ってぶくぶく息を吐く練習をして、これができれば苦しくないよ、と教えたり。プールはいやがるので近所の銭湯に連れていったりしました。
正直、待つとか見守るとかいうほど疲れることはありませんね…。行動としてはなにもしていないようですが、心のエネルギーはものすごいつかいました。顔には出さずにはらはらし通しでした。ここで水に対して恐怖をもってしまったらどうしよう、苦手意識もってしまったらどうしようと。もうだめだと思ったらこじれる前に短期のスイミングに行かせようと心の準備をしてました。それも見極めが大事なので気が抜けません。
親にとっては長い長い間に感じましたが、1ヶ月ちょっとで「できたよー!頭まで潜ってぶくぶくってできた!新しい級に上がれた!」と笑顔で帰ってくるその日がやってきました。その日からプールが待ち遠しいというようになりました。
その時は本当に嬉しかったです。
実はいままでこの子と過ごしてきた時間、こんなことの繰り返しなんですけどね。ドラマチックな毎日です(笑)。