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レンズーリの「個性と才能をみつける総合学習モデル」を読みました

 こちらの本が、現在日本で唯一出ているレンズーリの本になります。

どうも絶版のようで、図書館で借りて読んでみました。

個性と才能をみつける総合学習モデル

個性と才能をみつける総合学習モデル

 

 

今日はまず、著者による「日本語版への序文」のところから紹介します。

理念がわかりやすくまとまっていてよいです。

 

いきなりこう始まります。

 

学校教育では、子どもを社会化したり、現実的・理性的に世の中をみられるように特定の形式の知識を教えたり、市民として民主的な暮らし方に参加する準備をさせることを伝統的に行ってきた、こういった目的は、産業革命の影響を大きく受けた社会のニーズを反映していた。そして学校は、子供達に労働者になる準備をさせる工場のいわば原型になった。

 

まさに、わたしがいまの学校教育に対して持っている印象そのままです。

 

そういう面は今日でも重要だが、ポスト産業社会で起こった変化をみると、教育の根本を再検討せざるを得なくなる。学校での学習は子供の創造的な潜在能力を解放して、たんに社会に参加するだけでなく社会をつくっていく役割を担えるようにする手段である、と進歩的な教育学者は考えた。子ども一人ひとりの潜在能力を引き出し、個性の本質、つまり広範囲の能力・興味・動機づけ・学習スタイルを反映するように学習を変えることが重要だと主張された。

 

もういままでの工場の大量生産モデルみたいな教え方は、いまのポスト産業社会には適していないのではないか、ということですね。受け身に社会に参加するのではなく、社会を作っていくような人材に育ってもらうような教育、ひとりひとりの潜在能力、個性の本質に合わせた学習が必要とされている、ということですね。本当に心から賛成です。レンズーリが最初にこうした研究を発表したのは70年代で、その頃は学会からもあまり評価されなかったそうですが(マイコー雑記さんより)、いままさに必要とされている考えですよね。

 

本の学校がこうした個の潜在能力や広範囲の能力・興味・動機づけ・学習スタイルを反映した学び方の場所にいますぐ(!?)変わってくれるのが理想ですが、きっとまだ時間がかかりそうですから、家庭でできるところからやっていこう、というのがたぶんわたしたち親のできることかなとおもいます。そして、その輪が広がってみんなが「それっていいね!」と思ってくれたらそういう新しいスタイルの学校もできるかもしれないですしね。

 

また、このSEM(全校拡充モデル)というものは、もともとは、高い能力のある子ども向けの特別プログラムで開発されたものですが、そこではいままでの方法にとらわれずに高い思考スキルや創造性を伸ばす新しい方法を試み、その結果から、すべての子どもに学習経験を広げ深める(拡充)機会を提供する方法が生まれたのだそうです。

 

そういった才能教育の特別プログラムの実践が、すべての子どもの学習を改善するという普通教育の改革モデルに吸収されてきたのは好ましい展開である。なぜなら才能教育のノウハウが広く有用なことが示されるし、すべての子どもが高次の思考スキルを発達させて、知識偏重の教育よりは高度な学習内容を追求して直接的な探求活動を体験する機会が得られるからである。この方法は、学習「障害」の子供達も含めて、集団全体の個人差に対処して潜在的な才能を伸ばすという民主主義の理想を反映している。

才能教育の方法を普通教育に応用できるのは、多くの研究のおかげで、人間の能力や才能はIQなどで捉えるものよりずっと広いのだと考えられるようになったからでもある。

 

 

必要な学びの量と速さが、既存の学校での学習量やペースでは間に合わない子(いわゆるギフテッド)にも、学習障害がある子にも、分野によって発達の凸凹がある子にも、個別対応していくことで、さまざまな分野の才能を伸ばしていくことができる、という基本理念がすばらしいとおもいます。個別対応というのは、ある意味いまの学校には体制的に一番難しいことかもしれなくて、そういう意味でもそれぞれの家庭での支援、というのは取り組みやすいといえるでしょうか。少人数の塾やフリースクールのようなところで、もしかしたらこうした対応をしているところも既にあるのかもしれません。

 

潜在的な才能を伸ばす」というところにも注目したいとおもいます。家庭で取り組む時にも、まだ結果として見えていなくても、子どもをよく観察して才能の芽というものを見過ごさずに見つける、ということが重要になってくるとおもいます。また、親が偏見を持たずに幅広い分野に才能が隠れているかもしれない、という考えを持つことが大切ですね。

 

本の学校の先生方が「子どもとは多様なもので、さまざまな分野で学習スキルを身につけさせる方法もまた多様なのだ」と理解するようになってきたと私どもは思っている。この本ですすめているタイプの「拡充」とは「誰が才能があるか」をみつけるのではなく、一人ひとりの優れた行動を伸ばす機会だと捉えていただえければよいだろう。

 これはマイコー雑記さんのブログでも書かれていましたが、才能というものが、限定された個人に固定的に存在するもの、という捉え方から、誰にでもその「芽」はあって、育ててやれば育っていく可能性のある、動的なもの、という捉え方ですね。これはとても大事な視点だとおもいます。

 

私どもの経験では、学習に苦しんでいる子どもでも、学問や創造的活動のトップレベルに上れそうな子どもでも、すべての子どもがこのモデルの恩恵を受けることができた。SEMにおける実践で、子どもたちは自ら学習を進め学習の情熱と喜びを大きくするように励まされることは間違いないだろう。子どもが創造的な拡充の機会を追求すると、おのずと伝達技能を身につけ創造的に取り組むことを楽しむようになるのである。SEMによって、子どもたちはそれぞれの個性と才能を伸ばし、生涯学習のスタートを切る機会が得られるだろう。

 実際にSEMを実践して、さまざまなタイプの子どもたちによい結果をもたらしたというのは心強いですね。

 

また、主体的に楽しく学ぶ、創造的に取り組む、ひとつのことに熱中してなにかをやりとげることを後押しされて、才能が伸びていく、というSEMの基本のコンセプト(また追って記事にする予定ですが、マイコー雑記さんで紹介されている三輪の概念というのがそれです。)はとても素晴らしいものです。

 

なにかを押し付ける、押し付けられるというのはお互いに苦痛で長続きしないものです。楽しいからという理由で、こどもが自発的に自分の才能を伸ばしていけるなら、そしてそれが生涯を通して続くならそれが一番いいですよね。

 

( ↓ こんな記事も書いたことがあります。)

milkaddict.hatenablog.com

 

 

以上とりあえず序文の紹介でした。また消化してからゆっくり感想などかけたらとおもいますがひとまず。