待つ
創造する、特に絵を描いたり、小説を書いたり、企画を立てたり、なにか新しいことを生み出そうとするとき、必ず「待つ」というフェーズにゆきあたります。
アイディアって出そうとおもえばどんどん出る、というものではなく、ある意味自分のコントロールできないものです。たくさん出る時もあるし、そう出ないこともある。
明日まで作品仕上げなくちゃいけないけど、うまいことアイディアが浮かばない…なんてことはよくあります。
だから創作活動していると「待つ」ことが上手になります。「待つ」といっても、ただなにもしないのではありません。人によっていろいろなテクニックがあるでしょうが、無駄なことをしてみたり、あせらず運を天に任せて寝てみたり、とりあえず手を動かしてみたり、不調の時に備えてストックしておく、などいろいろなやり方があるとおもいます。
どちらにしろ、自分にはどうしようもできない、ということを受け入れて、その時を待つしか仕方ない、ということが、経験を重ねると実感されてきます。
普段創作活動をしていない現代人にとってはこの「待つ」ということ、けっこうハードルが高いかな、とおもうことがあります。
子育てでよくここは待つといいんだな、あえて手を出さないといいんだろうな、という場面って結構あるのですが、なかなかわかっていてもできない、ということってあるとおもうのです。
ついつい、こどもがやっていることはやめさせて、親の望むようなことをさせたくなってしまうんですよね。
まず、親が手を出すのを少し我慢して、こどもがなにをするのか見てみよう、一体この子はなにをするのだろう?という気持ちになること。
予定を立てる時に自分がやらせたいことじゃなく、こどもがやりたいことをやらせること。
自分の子育てを振り返って、なぜこの2つができるようになったのかといえば、ただ単に、こどもが小さい頃しょっちゅう泣いたり怒ったりしていたので、それ以外にどうしようもなかったからです。
やはり、こどもが反抗したり、親を困らせる時というのは親の学びのチャンスですね。
現代人は、忙しく「なにかする」ことで不安を解消している側面があるので、お教室へ行かせること、人前でこどもがよいパフォーマンスを見せてくれることで不安を解消している場合は、やめた方がいいらしい、とおもってもなかなかやめるのは難しいのかもしれません。
あれこれしないでゆったりじっとしていられる、というのは忙しく日々を過ごす現代人にとってなかなかに上級者向けの技だと思います。
忍耐力、というと語弊があるのかもしれませんが、余計なことをしないでいられる力、それでも自分を信じて立っていられる力が必要ですね。人間力といったらいいでしょうか。
自分の中の不安とかネガティブな思いをまっすぐみつめて、受け止めて、不安から自動的にあれこれ行動するくせを卒業することも大事だと思います。
子育てって楽しいこともたくさんあるけど、厳しいといえば厳しい、難しいといえば難しいものですね。
だって、そもそも親自身が
「自分で興味を持ったことから熱中しはじめて、そこから困難な課題を見つけだし、自分で設定して乗り越えていく」という本当の成長に結びつく体験
を経験して、それを評価してもらえたり、認めてもらっているでしょうか。
少なくともそれが素晴らしい、人間にとってとても深くて大事な体験だとわかっているでしょうか。
それに自分自身の興味、心の奥底からわきあがってくるものに対して
それに気づいて、認めてあげて、十分繰り返せるようにサポートしてあげること
ができている大人がどのくらいいるだろうかとおもいます。
自分に対してできてないことを他人にしてあげるのはとても難しいですよね。
そのためには体当たりで子育てしながら体得していく、というのもいいですし、うまくいかない、なんだか行き詰まっているという場合は目先を変えて、自分がなにか創作活動をしてみるというのも効果的だとおもいます。第一楽しいですよ。
こどもは日々創造する生き物です。別に絵を描いたり工作したりしなくても、常に新しい自分を創造し、脱皮していく生き物といってもいいとおもいます。自分が創造し、きらきらした毎日を生きることで、その成長をサポートしやすくなるとしたらこんなにいいことはないとおもいます。
*文中の引用は虹色教室通信より
このシリーズ記事はこれでおしまいです。