才能のソムリエ
くだらない思いつきなのですが、書いておきます。
才能って、国語ができる、算数ができる、サッカーが上手、絵がうまい、みたいなわかりやすい才能がある一方で、わかりにくい才能もあります。
思考スタイルという側面からいえば、立案型、順守型、評価型という3つのうちでアイディアを出すのが得意な立案型やツッコミが得意な評価型は学校の枠にははまりにくいとか。(先日紹介した「本当の「才能」見つけて育てよう」より)
多動など先生を困らせる特徴を持っていると、せっかく持っているよいところが見えにくくなっているとか。
虹色教室のこちらの記事も興味深いです。
言語化しにくい長所について (レンズーリの拡充学習について 14) - 虹色教室通信
言語化しにくい長所について 2 (レンズーリの拡充学習について 15) - 虹色教室通信
頭と目の前の現実、どちらにも接続可能の知恵を蓄える1(レンズーリの拡充学習について 16) - 虹色教室通信
才能なんていうと、親としてはつい利用したくなる下心がわくのですよね。いい大学入ってくれたら安心だわ、とか。オリンピックにでてくれないかしら、とか。
逆に、目の前の子にそういうわかりやすい才能が見受けられないと、この子にはいいところなんてない、と短絡的に思ってしまったり。
日本のお母さんたちは謙遜半分のところもあるでしょうが、子供の話になるとここがだめ、あそこがだめ、という話になりがちな気がします。
なので、才能を評価するのではなくて、メリットデメリットを考えたくなる気持ちは一旦脇において、「才能を愛でる」「個性を愛でる」みたいな機会がもっともっとあるといいんじゃないかとおもったのです。珍しい動物を観察するみたいな感じで。
なにしろソムリエですから、何か役に立ちそうなことをいわなくてよくって、ただその子の芳醇な味わいについて語ればよいのです。「この子には渋い味わいがあるわー。そんな地味なことに注目するなんて」とか、「これだけ授業中に立ち歩いてあちこち探索するってことは好奇心が強いのかしら」とか、一見ダメに見えるところも味わう。
意外に他人の目から見るといい部分が見えやすかったりするので、5、6組の親子で集まって、ひとしきりみんなで遊んで、親同士がこどもに関して発見したいいことを話すとか。
わたし自身、自分のよいところが外にわかりにくいところがあるな、と感じているので、小さい頃、もっといろんな人がわたしのよいところに気づいて教えてくれていたらよかったな、とおもうことがあります。
親は普通に愛情を持って育ててくれましたが、わたしが敏感タイプだったためか折に触れて「難しい」「気難しい」「好みがうるさい」ということばをかけられていて、またいわれた方はそういうことばかり覚えていたりするのです。
また、それぞれの親がそんなふうに、普段イラッとくる短所から少しフォーカスを遠ざけて、全体から才能を味わう、愛でる、そしてそれをことばにしてみる、ことをして才能のソムリエになってみる遊びをしてみたら、楽しいんじゃないかとおもいます。
「うちの子は最初ちょっとスパイシーに感じるのだけど、意外にやさしい面が後からでてくるのよね」
「うちの子は先生に怒られてばかりだけど、友達はやたらとひき連れているから人望はあるタイプかもね」
「とにかくいい意味でも悪い意味でも驚かされることの連続。飽きないわ」
などなど。
育ててあげたら伸びていく「芽」はそんなところから出てくるのかもしれません。
一緒に才能のソムリエ遊び、いかがですか?