自己肯定感が育っていないと
少し前の話しなのですが、20代の人とお仕事をする機会がありました。
その人はあまり自分に自信がないようでした。自信がないとどうなるか、というとチャレンジが難しいようです。新しいことがとても怖い様子でした。なにか注意されるんじゃないかとおどおどする。自己防衛的になる。保守的になる。自分の意見をはっきり表現するのが難しい。かと思えば相手に丸投げする。言い訳的なことをよく口にする。それからとにかく楽しくなさそうに見えます。情熱とかそういうものがあまり表に出て来ないので他の人には感じられない。
こちらはできるだけその人のいいところを伸ばしてあげたい、力になってあげたい、とおもっているのですが、そういう態度だとこちらもすごくやりにくいのです。まわりにはチャンスがあれば力になりたいと思っている人が他にもいるのですが、なにしろ本人はちょっとでもきついこといいそうな人には拒否反応を示すので、まわりも手を出すに出せない、という感じでした。
ここをよくしたらもっとよくなる、と教えたいけど、なにしろびくびくして防衛的になっているので、こちらも言い方考えなきゃ、という感じで、何重にもオブラートにくるんで伝えます。伝えたあとも卑屈になったり、言い訳したりするので、根気強くはげまします。別に責めてないのに勝手に先回りして謝ってきます。
こちらがなにか提案しても、新しいことにチャレンジしようとせず、自分の安心できるプランに頑なにこだわります。
先の計画を立てるにしても、どうせ自分なんて、とかどうせまたうまくいかないんだ、という思い込みにとらわれてカチカチに固まってしまっているように見えました。
といって、一生懸命やってないわけじゃないのです。その人なりに一生懸命やっているのです。見ていて切なくなるような一生懸命さです。得意分野に関しては詳しいし勉強していました。
なので努力が足りないとか根性がどうとかそういう問題じゃなく、なにかがうまくいっていないのだろうなあとはおもっていました。
自己肯定感のことをいろいろ考えていて、ふとその人のことを思い出しました。
もしかしたらこの人は自己肯定感がしっかり持てていなかったのかもしれないと。
自己肯定感がしっかり育たないと、こんなふうになるのかもしれない。
自分についてのセルフイメージが悪い。なにかできるとおもっていない。必要以上に卑屈になる。どうせできない、と自分に呪いをかけてしまって、その通りの結果を引き起こしてしまう。たくさん否定されいやなおもいをしてきて、もう傷つきたくない、と身を固くしてしまう。だから、傷つかないために、なるべくチャレンジしないで失敗しないように生きている。
結果的にまわりの差し出す助けをうまく受け取ることができないので必要以上に損してしまう。本人がうまくやりたいと思う気持ちとは裏腹に硬直した型通りの行動しかとれないために、結局周りが振り回され、フォローするはめになる。
本人としては一生懸命やっていて、仕事を成功させたいと心から思っているのに、どうしてもうまくいかず、その不成功体験が積み重なっていく。
本当の意味での対話、双方向のコミュニケーションがうまくできないのかな。そう考えると、子供の頃周りの大人にじっくり話しを聞いてもらえた経験も不足しているのかもしれません。
もちろん成功体験も少ないでしょうし、自己肯定感を高めるような対応もあまり受けた経験がないのかもしれません。
「できたことノート」の本に「自己肯定感が高い人は、自分の心のフタをあけて、純粋な心にアクセスできる。そのことによって新しい自分になれる。行動が起こせる。」とありました。
まさに、その逆のパターンということですよね。
いままで傷ついてきた経験から、心のフタをきっちり締めてそれが開かないように、もうこれ以上否定されませんように、傷つきませんようにとおもいながらカチカチに固まって生きている。硬直しているから新しいことができない。
わたしが一緒に関わったプロジェクトは、その人が抜擢されたもので、うまくいけばそれこそ成功体験になるはずだったのに、いろいろなものが指の間からすり抜けていく様子を間近でまざまざと見てしまい、本当に歯がゆいおもいでした。
いま思えば、その人自身も「こうしたい」とか「行動したい」と思っても自己肯定感が少なすぎて、エネルギータンクが空の状態で、動くに動けなかったのかもしれません。
願わくば、その思いっきり失敗したという経験から自分の殻を破って成長することができたのだといいですが。もしかしたら、いままでは自分の思い通りにやらせてもらって思い切り失敗する経験もしたことがなかったかもしれないですものね。
日本中に自己肯定感の低い人がたくさんいるということは、こういう人がたくさんいる、ということなのでしょうか。
学校や親といった周りの大人が知らず知らずのうちにそういう人をたくさん作ってしまっているのでしょうか。
ゆとり世代の人たちに失望する話っていうのを耳にすることがありますが、もしかしてそれって自己肯定感の問題だったりするのかもしれませんね。
わたしにできることはたかが知れているかもしれないけれど、目の前の自分のこどもに対して、自由に生き生きと生きられるように、失敗を恐れずチャレンジできるように育ってもらうにはどうしたらいいか、よく考えて接していこうと改めておもいました。
そして、同じように考える親が少しずつ増えて、少しずつ明るい社会が実現していきますように。