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読書をしながら、子育てしながら、お仕事しながら、人間の内面についていろいろ考えたりする毎日

「子どもが巣立つということ―この時代の難しさのなかで」

図書館でなにげなく手にとった本。

 

巣立ちってどの親にとっても大きなテーマですよね。

 

こどもが巣立つってどういうことなんだろう?どんな巣立ちのかたちがこどもにとって、親にとっていいのだろう?

 

いままでなんとなく巣立ちというのはこどもが1人で自活して仕事して暮らしていけることっていうイメージでしたが、現代では巣立ちってもっと複雑でとらえにくいもののようです。

 

そして、巣立ちに失敗したこどもの例がいくつか出てくるようになり、あれ?とおもって著者の略歴をみると、この方は少年犯罪の加害少年から長年聞き取りをされてきた方なのでした。

 

確かに悲惨な少年犯罪の報道をみると、本当に辛いきもちになりますが、子育てしている親にとって知りたいのは加害少年たちがどうしてそんなことをしてしまったか、ということではないでしょうか。

 

自分のこどもが被害者になるのも嫌ですが、加害者になるのも嫌です。

 

本を最後まで読んでも巣立ちということをはっきり定義はできませんが、こどもがうまく巣立てないのはどんな状況の時なのか、ということを具体的な事例とともに読んだことは、子育てにおいて自分の中でなにが一番大事なのか、という軸を今一度しっかりさせてくれたとおもいます。

 

子どもが巣立つということ―この時代の難しさのなかで

子どもが巣立つということ―この時代の難しさのなかで

 

 

 

 

 

こどものヘルメットの色を変える

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塗り直したヘルメット


先日下の子の自転車を新調したのですが、その時に自転車屋さんで上の子に「新しいヘルメットほしいなあ、色がいまの自転車に合わないし。」とおねだりされました。「そうかー」と並んでいるヘルメットを見てみましたが、そこそこいいお値段。そもそもいまのが小さくなったとか使えなくなった訳じゃないし、「考えておくね。」と保留にしました。

 

家に帰ってからひらめいたのですが、いま家にあるアクリル絵の具で塗ったらいいんじゃないかと。

 

ネットでヘルメットの塗装について検索すると、だいたいがバイクのヘルメットをスプレーで塗装、という記事でした。スプレーだと匂いがきつそうだし、体にも悪そうだし、と思ったのですが、塗る前に紙やすりをかけると塗料がのりやすく落ちにくいとか、塗りたくない部分にあらかじめマスキングテープを貼る、などの基本を確認できました。

 

こどもに、違う色に塗ってみようか、というと「いいね!」と乗り気。

 

本人にやってもらってもよかったのですが、本人がともだちとテレビゲームしている間にわたしがやってみることにしました。

 

こういうちょっとしたDIYってすごくストレス解消になるんですよね(笑)。

 

百均でアクリル絵具と紙やすり買ってきました。マスキングテープは専用のもありそうですが、わたしは医療用のニチバンの白いテープが気に入ってるので家にあるものを使いました。

 

紙やすりは粗目から細かいのまでたくさん入ってセットになってるのを買ってきましたが、塗装下地には中目、と書いてあったのでその番手のもの(#250)でかけました。それから絵具がついてほしくないところにマスキングテープを貼り、いよいよ塗りにかかります。

 

下地をわざわざ買うのは面倒だったので、きたなかったら何回か塗り重ねる作戦です。

 

大きめの刷毛が家にあったのでそれで塗り始めたのですが、毛が抜けるので失敗でした。途中から太めの平筆に変えました。

 

色の具合を本人に確認しながら作って、塗りました。都合3回塗り重ねました。

わたしは一回塗りも味があって好きだったんですが、本人がきれいに仕上げる方がいいといっていたためです。

 

不透明な絵具を使いましたが、それほど刷毛目も目立たないし、素人DIYにしてはまずまずのできかなと。仕上がりは、艶はなく、マットでパウダリーな感じになりました。使う絵具によって変わるかもしれませんが。

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仕掛かり中の第2弾。下の方にマスキングテープ貼ってます。


 

お子さんが違う色のヘルメットがほしいといったら、一緒に塗ってみてはいかがですか?

 

飽きたらいつでも塗り直せるし、いろんなアレンジも可能ですよね。マスキングテープでラインを入れるとか。筆でちょんちょんしてドットっぽい柄にするとか。上からシール貼るとか。

 

たぶん上からラッカースプレーとかニス塗装とかするとより耐久性は上がりますが、うちは匂いに敏感な人が多く、とれたらまた塗ればいいやということで、やりませんでした。

 

ちなみにアクリル絵の具は水で溶いて使えるので手軽ですが、乾くと耐水性になるのでこういう時便利です。ただ、服などにつくと濡れている時に落とさないと、後からでは落とせないのでお気をつけください。

 

 塗りあがった瞬間、下の子が「いいなあーわたしのも塗って!」ときたので、早速第二弾に仕掛かりました(笑)。

「科学の実験大図鑑」

夏休みももう終わり。我が家も自由研究/自由制作や宿題と格闘しました。

 

理系アタマがぐんぐん育つ 科学の実験大図鑑

理系アタマがぐんぐん育つ 科学の実験大図鑑

 

  

実験の本はたくさんありますが、こちらの本は大判で美しいビジュアルとシンプルで取り組みやすい内容、そしてなにより楽しそうでやってみたくなる雰囲気にあふれていてうちのこどもたちはとても喜んで見ています。

 

10才の上の子は少し理科に苦手意識があるようですが、実験は大好きです。

 

夏休みにこの本に出ている実験をやってみたので、機会があればそちらも紹介したいです。

農業が子育ての、そして生き方のスタイルを変えた その3

農業は、私有地、階級的格差、そして狩猟採集民の社会に広がっていた平等とは全く違った条件も提供していました。

狩猟採集民は、得られる獲物や食べられる植物を探して動き続けていたので、土地や自分たちが持てるもの以外の有形財を持つことにはまったく経済的価値がありませんでした。それとは対照的に、農民の家族は自分の土地の権利を主張し、守らなければなりません。わざわざ耕したり、植えたり、栽培したりしたのですから、そこに他の誰かがやってきて、収穫をさせるわけにはいきません。

また、定住性の暮らしによって、食料を貯蔵したり、他の有形財を貯めたりすることもできました。このことによって身分の差が生まれたのでした。より多くの土地やものを所有した農民の家族が、より裕福になるのです。彼らは、より多くの子どもを養うことができ、その子らはより多くの遺産と高い地位を相続することができたのです。そのことはさらに結婚相手を惹きつけたり、(多くの子どもたちや使用人によって)自分たちの土地に杭を立てて仕切ったりするのに役立ちました。

結果的に、農業は狩猟採集民が受け入れることのなかった価値観を拡大させていったのです。それには、骨折り仕事、子どもの労働、私有財産、強欲、地位、競争が含まれます。

 

 

農業中心の暮らしがもたらした新たな価値観には骨折り仕事、子どもの労働、私有財産、強欲、地位、競争など、現代社会の問題となるものがすべて含まれています。

 

わたしたちはこうしたことが問題だとはおもっていたものの、それがまさか農業中心の暮らし由来の価値観だとは思ってもみませんでした。いままでは。

 

でも、原因がわかったいまは、そうでない生き方をすればいい、という新たな光が見えてきたような気がしています。

 

 

農業が子育ての、そして生き方のスタイルを変えた その2

文化人類学者のマーシャル・サーリンズが狩猟採集民の社会を「最初の豊かな社会」と呼んだことは有名です。彼らはたくさんのものを持っていたからではなくて、彼らのニーズがあまりにも少なかったため、豊かなのです。

 

彼らは少ないニーズを比較的少ない仕事で満たすことができました。結果的にたくさんの自由時間を持っていました。その時間を「歌ったり、歌を作曲したり、楽器を演奏したり、複雑なビーズのデザインを縫ったり、物語を語ったり、ゲームをして遊んだり、他のバンドを訪ねたり、横になったり、休んだり」して過ごしたのです。これらの活動は生活に満足している人ならどこでもしていることです。

 

環境問題や地球温暖化の問題が叫ばれて久しいですが、地球上の人類が狩猟採集民的な生き方に移行すれば、あっという間に解決しそうです。

 

また、ものがありすぎて断捨離だとかミニマリズムということもいわれていますが、狩猟採集民的生き方はそんな時代にまさにぴったりです。

 

農業が、徐々にこれらをすべて変えたのです。安定的な食料供給は、人々により多くの子どもをもつことも可能にしました。農業は、放浪の民として暮らすのではなく、自分たちが育てている作物の近くに定住することを可能にしました(というよりも、強制しました。)

 

しかしながら、この変化はより長い時間を労働に費やさなければならないというコストを伴っていたのです、狩猟採集民は自然が育ててくれたものを巧みに収穫したのに対して、農民は耕して、植えて、栽培したり、家畜の世話をしたりなどしなければならなくなりました。

 

農業で成功するには、長時間の比較的熟練を要しない、繰り返しの作業が要求されるのです。それらのほとんどは子どもでもできるものです。家族も大きくなったので、子どもたちは若い兄弟たちを食べさせるために畑で働いたり、家でその子たちの世話をしたりするようになりました。子どもたちの生活は徐々に、自分自身の興味関心を自由に追求することから、家族の手助けとなる仕事をする時間に移行しました。

 

 農業で必要とされるのは長時間の繰り返しの作業、しかも熟練の必要がないものだったのですね。これが産業革命後の工場での労働や、いまでいうマックジョブというだれでもできるような仕事のルーツとなっていそうです。

 

そして、ここで注目すべきは、こどもたちの生活の変化ですね。いままで自分自身の興味関心を自由に追求する毎日を送っていたのに家族のために労働するようになっていったのです。

 

農業が子育ての、そして生き方のスタイルを変えた その1

農業は、人々の暮らしにたくさんの改善を提供してくれました。より安定的な食糧供給を実現し、その結果、飢えの脅威を、少なくとも当初は、減らしました、農業は、食料を探して移動する必要性をなくし、人々が定住できるようにして、丈夫な家を建て自分たちを肉食動物や嵐から守ることを可能しました。しかしながら、農業には高い値札もついていました。そのコスト面は、狩猟採集から元に戻ることはできない最初のステップを歩みだした人たちには予想できなかったことでした。農業は、人間の暮らしの条件を根本的に変えることで、自由、平等、共有すること、遊びなどを減少させたのです。(中略)そこでは、遊ぶことではなく、骨を折って働くことがもっとも大事にされるのです。

 

農業はとてもいいもののはずでした。だから皆が取り入れたのですが、農業中心の暮らしをすることによって、いつのまにか自由や平等、共有の概念や遊びが少なくなっていたのです。それは今に至るまで続いていて、わたしも含めて人々はそのことに無自覚です。

 

「骨を折って働くことがもっとも大事にされる」と聞いて、なるほど!とおもいあたる不思議な慣習が身の回りにたくさんあります。たとえばやたらと長時間残業するサラリーマン。たとえば、わざわざ仕事を増やしているのではないかとさえ思われる非効率な学校のPTAなどなど。

 

狩猟採集民の生活は、知識集約的で技術集約的でしたが、労働集約的ではありませんでした。すぐれたハンターと採集する人になるには、自分たちが依存している植物や動物と、自分たちの食料をあさる地形についての深い知識を身につける必要があります。彼らは、狩りや採集の道具を作ったり、使いこなしたりするのに卓越した技術を身につけなければなりません。また、食料を見つけるのに、獲物を追うのに、そして肉食動物から身を守るために創造的でなくてはなりません。

 

でも、彼らは長い時間働く必要はありません、それどころか、長い時間を狩りや採集に費やすのは逆効果です。そうすることは、自然の再生能力を超えて食料を捕獲したり、収穫してしまうことを意味するからです。

 

さらに加えると、狩りと採集の仕事は、部分的にはそれが知識集約的で技術集約的なので、ワクワクして楽しいものでした。文化人類学者は、狩猟採集民は我々のように仕事と遊びを分けることはないと報告しています。彼らは、狩りと採集を遊びながらして育ち、徐々に本物に移行しますが、その際も「遊び心」は失いません。彼らには骨を折って働くという仕事の捉え方は存在しないのです。

遊び心を持って、創造的に状況に対処する。長時間は働かない。といったスタイルがとても素晴らしいと思います。そして、これからの時代にとても合ったスタイルなのではないでしょうか。