Follow your bliss

読書をしながら、子育てしながら、人間の内面についていろいろ考えたりする毎日

木の上の二羽の鳥

ジョーゼフ・キャンベルという神話の研究者の方をみなさんご存知ですか?


スターウォーズは、この人の講義にインスパイアされたジョージ・ルーカスが、神話的構造を取り入れたことで、広い層に受け入れられたといわれています。


「神話の力」という本は対談で読みやすいですが、話されている内容は深く、お気に入りの本です。お気に入りすぎてなかなかどこを紹介したらいいか迷いますが、その中からひとつ紹介します。

 

 キャンベル (一部略)ヘラクレイトスは、神にとってはあらゆるものが善であり、正であり、義であるが、人間にとっては、正しいものもあれば、正しくないものもある、と言っています。人間である限り、だれでも時間と決断の領域にいる。人生の問題のひとつは、その両者をわきまえて生きること、つまり、「私はなにが中心であるかを知っている。善と悪とは単に時間領域における分離逸脱に過ぎず、神の目から見れば、全く同じものであることを知っている」と言いながら生きることです。

 

モイヤーズ それはが「ウパニシャッド」の基本理念なんですねーー「女ではなく、男でもなく、中性でもない。いかなる肉体をとろうと、その肉体を通して働く」という。

 

キャンベル そのとおりです。だからイエスも言っています。「裁いてはならない。裁けばあなたが裁かれるからだ」。つまり、善悪二分の考え方をする前の、楽園の立場に戻りなさい、ということです。教会の説教壇からそこまで教える聖職者はいないでしょう。しかし、人生における偉大なチャレンジのひとつは、自分から見て最も憎らしい人なり、行為なり、条件なりに対して「オーケイ」と言うことです。

 

モイヤーズ 最も憎いものに?

 

キャンベル その種のものにはふたつの面があります。ひとつは、行動の分野におけるあなたの判断。もうひとつは、哲学的な観察者としてのあなたの判断です。だれも、毒ヘビなどいてはならない、といういうことはできません、生命界とはそういうものなのです、しかし、行動の分野において、あなたはだれかに嚙みつこうとしている毒ヘビを見たら、それを殺します。それは蛇に対してノーと言っているのではない。その状況に対してノーといっているのです。「リグ・ヴェーダ」のこんなすばらしい詩があります。「木の上に」ーー生命の木、あなた自身のいのちの木の上にーー「二羽の鳥がいる。大の仲よしだ。一羽は木の実を食べ、もう一羽は何も食べずに眺めている」さて、木の実を食べている鳥は実を殺しているのです。生命は生命を食うことによって成り立つ。それが生命の本質です。

 

意味が通じるよう長めに引用しましたが、この最後のところの木の上に二羽の鳥がいる、という構図、これが自分の心の中に印象深く刻まれています。

 

人間はこの世界に生きている以上、生命として他の生命を食べるということから逃れられない。それは実際の食事というだけでなく、やはりひとつの生命を維持するため、その生命を守らないと生きていけない、ということだとおもいます。

 

わたしはもう一羽の鳥の「何も食べずに眺めている」傾向が強いです。ぼーっと人間を観察していろいろ大きいことについて考え事をするのが好きなので。

 

もちろん人間にとってその要素も非常に大切で、それがなければただ自分より弱いものをとって食べる動物と同じです。

 

 しかし「なぜ生きるのだろう?」などと考えているばかりではこの世界を生き抜いて(survive)いくことはできません。他の存在に対して、まず自分の生命を大切にして生き抜くことを肯定するなら、自分に対してもそうするべきです。

 

 現実問題に対処するのが苦手な自分に、時々言い聞かせるようにしています。

 

 

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

 

 

 

15分で一汁一菜!

 とにかく夕飯はぱぱっと作りたいわたしにとって、夢のような本を発見したのでご参考までに紹介しておきます。

 

15分で一汁一菜 毎日のごはんはこれでいい! (講談社のお料理BOOK)

15分で一汁一菜 毎日のごはんはこれでいい! (講談社のお料理BOOK)

 

 

本当、「これでいい!」です。簡単に作れておいしそうなレシピがたくさん紹介されています。

 

わたしにとって食事って栄養がとれていて、家族でおいしいねって食べられることが大事なので。

 

つくりおきおかずの本も買ってみて、悪くなかったのですが、計画的に一週間分用意する、というのはわたしにはあまり向いてない気がするので、こちらは気が向いた時に「これおいしそう!」と思ったものを作って、ある時は食卓に追加して出す、という使い方になりそうです。

「適当さ」のメリット

仕事を始めてみて、まずは家事、育児と仕事との両立が目下の課題です。

 

しかし、意外とわたしの性格には合っているかも、ということがわかってきました。

 

その理由はわたしの「適当さ」です。(堂々というのもどうかとおもいますけど...)

 

いままで専業主婦という立場では、家事にそれほどクオリティを求めない、ということは、主婦としての能力が高くない、ということなのだろうかと思ったりすることもありました。

 

でも、自分の中で家事は最低限できればいいもので、余った時間でこどもと楽しく過ごす方が優先順位が高いことでした。

 

こどもに時間をかけてしっかり向き合っていろいろな遊びを一緒にしたのは楽しかったし、こどもにとってもよかったのではないかとおもっています。

 

話を戻して、働き始めてみてその、「家事にそれほどのクオリティを求めずどれもそこそこで回す」ということがワーキングマザーにとっては必須スキルといっても過言ではないということがわかってきました。

 

あれもこれも完璧にこなそうとすれば、自分が倒れそうになります。

 

しかし、こどもにとっても、自分やパートナーにとってもそれは一番避けたいことです。

 

食事の献立は一汁一菜ベースでいいんじゃない、とか、部屋の中が多少散らかっててもまあいいか、と思えるわたしってワーキングマザーに向いてるかも、と密かに感じています。(家族が同意してくれるかどうかはわかりませんが...)

 

一応自分のために釈明しておきますが、「適当」というのはいい加減というわけではなく、大事なところはしっかり押さえて、後はそれほど力をかけずにメリハリつけてやる、ということです。念のため。

 

そしてその分の時間で、これからも家族で楽しく、時にだらだらと過ごす予定です。

年収は自分の値札??

働き始めるにあたって、楽しみだなという気持ちや、できるかなという不安、ちゃんとしなければという気持ちなどいろいろ交錯しております。

 

その中で、収入と自己評価についていろいろおもったことを書いてみます。

 

思えば、若かりし頃、おじさまや同年代の男性と張り合って仕事をしていた時、かなり収入のことを鼻にかけていた気がします。

 

学生時代、特にもてるわけでもなく、スポーツができるわけでもなく、おしゃれにも疎く、ひたすら地味に目立たないようにしていましたし、いわゆるてきぱきと気を利かせてお金を稼ぐ、ということを特に苦手に感じていたので、その自己否定感の反動だったのでしょう。

 

わたしだってやればできるんだから、という気持ちが先走り、嫌な奴だったとおもいます。

 

で、具体的に何が得意だったかという中身を点検してみると、一人前に稼いでいるんだからね、ということがかなり多くを占めていたかと思うのです。

 

とりわけ高収入だったわけではないですが、正社員で残業代、賞与もいれるとそこそこいただけました。その年収で家族を養っている人もたくさんいるはずです。

 

派遣やアルバイトで稼いでいた時も、自分の自由に使えるお金があるというのはいい気分でした。

 

翻って育児に追われる主婦の立場では、いくら忙しくてもがんばってもお給料がもらえません。なんとなく贅沢するのは気がひけるものです。お金を使うことに躊躇して使わないで悶々としたり。使うにしてもいくらまでが適正なのか、はっきりした基準がないので、お金を使ってもなんだかこれでいいのかもやもやする気持ちがありました。

 

もちろんベースの考え方として、人間の価値がお金で決まるものではないことははっきりと認識しています。

 

家事や育児がお金にならないとはいえ、尊い仕事だということも。

 

それでも、今回仕事を始めるにあたって感じる「気分の張り」の中にはやはり「わたしだってお金を稼げる、それなりの価値のある存在なのだ」という気持ちがあります。

 

もちろんそれだけじゃなくて、仕事を通じて人の役にたてたらいいな、よろこんでもらえたらいいな、という社会的なつながりを持つ喜びもあれば、自分でお金を稼ぐということである程度の経済的な自立ができる、自由を手にいれる、という喜びもありますが。

 

どうしても「収入=自分の値札」みたいな社会通念というか、自分の中の観念というものが根強くあるのだな、ということを自分によく言い聞かせておきたいと思います。

霜柱の科学絵本

 

しもばしら (かがくのとも絵本)

しもばしら (かがくのとも絵本)

 

 

先日霜柱をみつけて大喜びしていたこどもたちのために、この本を図書館で見つけて借りてみたところ、とてもわかりやすくおもしろかったです。

 

霜柱を自分で作ってみるやり方も書いてあって、こどもたちは「やりたいやりたい!」といっていました。

 

こんどチャレンジしてみます。

 

小さめのカップ麺の入れ物に、水、土を入れて一回り大きい入れ物に新聞紙で断熱して冷凍庫に入れるそうです。

「ダンプえんちょうやっつけた」

ダンプえんちょうやっつけた (絵本・ぼくたちこどもだ)

ダンプえんちょうやっつけた (絵本・ぼくたちこどもだ)

 

 古田足日さん、田畑精一さんのコンビで作られた名作絵本「おしいれのぼうけん」は小さい頃読んで、どきどきわくわくしたものですが、同じお二人の作った二作目の絵本はまだ読んだことがなく、図書館で借りてきてみました。

 

これが!すばらしい!

 

こどもたちに読んであげたのですが、大好評でした。

 

まず、保育園のこどもたちとダンプえんちょうのキャラクター造型がすばらしい。ひとりひとり目に浮かぶようです。

 

そして、野山を舞台に繰り広げられる迫真の海賊ごっこの描写がすばらしい!一緒に冒険している気分を楽しめます。

 

こんな冒険してみたい!

 

いつのまにかはらっぱが大海原に見えてきます。

 

うちの子たちが一番ひきこまれたのは、メインで描かれるこわがりのさくらの成長物語です。

 

体が小さく「だってこわいんだもーん」が口癖の女の子が、海賊ごっこに夢中になって遊びこんでいくうちに、自分でもびっくりするような大胆さを発揮して、大活躍します。

 

上の子は自分のことのように感じたのか、ついつい話を聞きながら応援したり、手を振り回してやった!と喜んだりしていました。

 

ダンプえんちょうは、こどもと一緒に本気であそんでいるのだけれど、こどものきもちをしっかりわかっていて、こどもが本気で遊びながらそれを通じて成長できる場を微妙なさじ加減で作り出していて、大人視点で見るとそこにも感動します。

 

「おしいれのぼうけん」も、またタイプが少し違うお話ですがおすすめです。うちのこどもたちはおもしろいけどちょっと怖いといっていましたのでこわがりの子には向かないかも?

 

おしいれのぼうけん (絵本・ぼくたちこどもだ)

おしいれのぼうけん (絵本・ぼくたちこどもだ)

 

 

 

ちょっとしたことで泣いてしまうー敏感な子の日常  その2

milkaddict.hatenablog.com

 この記事に書いた出来事の後日談です。

 

上の子はこの日の翌日が学校の始業式でした。始業式が終わると楽しそうに友達とおしゃべりしながら帰ってきて、早速友達と遊ぶ約束をしてきました。

 

夜は、明日の学校が楽しみ!と話していました。

そこで「そう、楽しみなんだ、よかったね。昨日はちょっと学校始まるの心配だった?」と聞いてみました。するとやっぱり心配だった、との答え。

 

なにか新しいことがある時、その前に不安になる、というのがこの子のパターンです。当日をクリアしてしまえば、やっぱり楽しかった!になる、というのもパターンです。これは8年かけた調査の結果判明しました。

 

この日は支度をしながら、あれがない、これがない、と心配になり、泣いてしまったので「泣いていないでやることをやりなさい」といったら、本当にそうだとおもったらしく、夜寝る時に「こんなに心配性でこれからどうしよう」といってきました。

 

「そうじゃなくて、いろいろなことを深く感じる性質なんだよ」と話しました。

 

不安も普通の人がこのくらい少し感じていることを、こーんなに何倍も大きく感じるし、きれいだな、という気持ちも、楽しいな、という気持ちも、おもしろいな、という気持ちも人よりたくさん感じているだけなんだよ。悪いことばかりじゃないよ。とってもいいことだよ、芸術家や人を助ける仕事に向いているかもねと話しました。

 

ついでに下の子にも、あなたもそうだとおもうよ、と話しました。

 

ちょうど下の子から、「泥棒入ってこないよね? 鍵かけた?」といつもの質問をされたところだったので。

 

2人とも「ふーん、そうかあ、そうなんだ。」と納得し、下の子は「うん、

楽しいこともたくさん感じるよ!きょうなんて世界一楽しかったもん!」と喜んでいました。