狩猟採集民のこどもの1日
ピーター・グレイ著「遊びが学びに欠かせないわけ」より、まずは狩猟採集民のこどもたちの1日の過ごし方の描写を引用します。
アフリカのカラハリ砂漠で狩猟と採集をしているバンドの中で暮しているクウィという11歳の男の子の様子です。(文中に出てくるジュホアンシというのはクウィが属している文化的集団のことです。)
彼には学校も、決まったスケジュールもありません。彼は、完全に目が覚めたときに起き、自分の好きなように1日を過ごします。ほとんどは、様々な年齢の子で構成された友達と遊んだり、探検したりします。大人の監督は一切なしで、集団の近辺のときもありますが、まったく遠く離れている時もあります。彼は、このようなことを4歳のときからしています。それは、ジュホアンシの大人たちが、こどもは論理的に考えることができ、自分をコントロールでき、大人の近くにとどまる必要もないと思っているからです。結果的に、毎日の探検が、新しい学びを提供してくれています。
クウィと友達は役にたつ大人になりたいと思っているので、狩りなど生活に必要な技術を「ごっこ遊び」のかたちで練習し続けます。
弓矢を使って、蝶、鳥、ネズミ、ときには大きな獲物を追い詰めて、撃ちます。大人が組み立てた小屋や様々な道具に似たものも作ります。クーズー、ヌー、ライオン、その他のたくさんの動物の音や動くのものの物まねを、大喜びで大げさなやり方でします。クウィたちが優れたハンターになるためには、肉食動物から身を守ったり、それらの動物のクセを学んだりしなければなりません。そのためには、友達が異なる動物役を演じる遊びもします。自分たちのバンドや来訪している知り合いのバンドの大人達の話し方や動きを注意深く研究した上で、ユーモアたっぷりにそのモノマネもします。
ときには、秘密の隠された場所を見つけるために、クウィ達はブッシュの中に深く足を踏み入れることもあります。子供達は走り、追跡し、跳び、登り、投げ、そして踊ります。そうすることで、彼らは壮健で、バランスの取れたからだをつくるのです。
楽器を作り、聞き覚えのあるジュホアンシの歌を歌ったり、新しい歌を作り出したりすることもあります。彼らはこうしたことすべてを、自分たちがしたいからし、そしてみんな楽しんでしています。
それをしなさいという人は誰もいません。誰も彼らをテストしません。彼らに遊びを教えようとする大人もいません。けれども、ときには(特に若い)大人がおもしろ半分に加わることはあります。一方で、クウィたちが大人の始めたゲームや踊りに加わることもあります。彼らは自由な意思で学んでいくのです。
これこそが、自然が設計した子ども時代なのです。
とても自由で、楽しそうで遊びにあふれていますが、同時に遊ぶことで大人になってからの狩りに必要な動物の特徴を学んでいるし、しっかりした身体作りもしています。
幸せでかつ生産的な様子は、以前とりあげたレンズーリの拡充学習にも共通するものを感じます。