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農業が子育ての、そして生き方のスタイルを変えた その1

農業は、人々の暮らしにたくさんの改善を提供してくれました。より安定的な食糧供給を実現し、その結果、飢えの脅威を、少なくとも当初は、減らしました、農業は、食料を探して移動する必要性をなくし、人々が定住できるようにして、丈夫な家を建て自分たちを肉食動物や嵐から守ることを可能しました。しかしながら、農業には高い値札もついていました。そのコスト面は、狩猟採集から元に戻ることはできない最初のステップを歩みだした人たちには予想できなかったことでした。農業は、人間の暮らしの条件を根本的に変えることで、自由、平等、共有すること、遊びなどを減少させたのです。(中略)そこでは、遊ぶことではなく、骨を折って働くことがもっとも大事にされるのです。

 

農業はとてもいいもののはずでした。だから皆が取り入れたのですが、農業中心の暮らしをすることによって、いつのまにか自由や平等、共有の概念や遊びが少なくなっていたのです。それは今に至るまで続いていて、わたしも含めて人々はそのことに無自覚です。

 

「骨を折って働くことがもっとも大事にされる」と聞いて、なるほど!とおもいあたる不思議な慣習が身の回りにたくさんあります。たとえばやたらと長時間残業するサラリーマン。たとえば、わざわざ仕事を増やしているのではないかとさえ思われる非効率な学校のPTAなどなど。

 

狩猟採集民の生活は、知識集約的で技術集約的でしたが、労働集約的ではありませんでした。すぐれたハンターと採集する人になるには、自分たちが依存している植物や動物と、自分たちの食料をあさる地形についての深い知識を身につける必要があります。彼らは、狩りや採集の道具を作ったり、使いこなしたりするのに卓越した技術を身につけなければなりません。また、食料を見つけるのに、獲物を追うのに、そして肉食動物から身を守るために創造的でなくてはなりません。

 

でも、彼らは長い時間働く必要はありません、それどころか、長い時間を狩りや採集に費やすのは逆効果です。そうすることは、自然の再生能力を超えて食料を捕獲したり、収穫してしまうことを意味するからです。

 

さらに加えると、狩りと採集の仕事は、部分的にはそれが知識集約的で技術集約的なので、ワクワクして楽しいものでした。文化人類学者は、狩猟採集民は我々のように仕事と遊びを分けることはないと報告しています。彼らは、狩りと採集を遊びながらして育ち、徐々に本物に移行しますが、その際も「遊び心」は失いません。彼らには骨を折って働くという仕事の捉え方は存在しないのです。

遊び心を持って、創造的に状況に対処する。長時間は働かない。といったスタイルがとても素晴らしいと思います。そして、これからの時代にとても合ったスタイルなのではないでしょうか。