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読書をしながら、子育てしながら、人間の内面についていろいろ考えたりする毎日

人と人を比べるということ

最近、自分の中でテーマとして出てきていることに「人と人を比べて順列をつけて、優越感を得るってどういうことなんだろう?」というのがあります。

 

そういうことを考えさせられる出来事が続いています。

 

まだ、自分の中でそれがどういうことなのかよくまとまっていませんが、ひとまず植松努さんの文章を読みながら考えています。

 

tsutomu-uematsu.hatenablog.com

例えば、こちらのブログの文章にもいろいろ考えさせられます。

 

人はそれぞれまったく違う輝きを持つ存在で、本来は比べられるものではありません。なのに、人はなんとか順位をつけようとする。年齢だとか、成績だとか、スポーツだとか。それはずっと昔からそうです。

 

無理なのになんとか測ろうとしても、それはものごとのほんの一部を取り出して平面的にのっぺりとしたものに直して、そこにメジャーをあてて測るようなことになります。

 

順位をつけたくなる気持ちがなぜ出てくるかといえば、人の心の中に、そのままの自分に自信がない、そのままでいいとおもえない、という気持ちが存在するからなのかもしれません。

 

順位をつけて、自分は最下位じゃないと思うと少し不安がやわらぐ気がするのではないかとおもいます。

 

でも結局それで完全にすっきりはしないから、いつも不安に苛まれているから、強迫的に常に自分の立ち位置を確認しなくてはいけなかったり、自分がいかにすごいかアピールし続けなきゃいけなかったり、時に自分の不安でいっぱいになりすぎて、だれかを蹴落とすことに無自覚だったり、するのかもしれません。

 

やり続けてしまう、というのはそれが究極の問題解決になってない、という事だと思います。ずっとそこにとらわれ続けている、次のステージにいけない、という事だと思います。

 

「自分は自分のままですばらしい」「自分は人と違うからいいんだ」「生きていてよかった」「自分はここにいていいんだ」としっかり実感することができれば、そんなくだらないことはしなくて済むし、不安に駆られて疲れなくていいし、余裕ができてもっと人に気遣いできるようになる気がします。

 

順位が気になってしまう、という時は、自分の心の中をよく観察して、その原因をよく見つめたいですね。

 

人より優位に立てば、その場は少し不安から逃れられるかもしれないけど、究極の解決にはなっていない、ということ、よく考えてみたいですね。

 

また、成績やスポーツ、ステータスなど、人と人を比べる指標というものはすべて、ものごとのほんの一部のことしか表していない。人間の価値とはもっと時間的にも空間的にも奥深いものだ、ということも忘れないでいたいです。

 

だれかと比べない自信というのは、植松さんのいうように、幼いころの家族からの無償の愛の経験だとか、自分で好きな事をやり続けていろいろなことができるような経験だとか、そういうものから生まれるのでしょうか。

 

そういうものが得られなかったこどもにも、地域や社会で「だれかと比べない自信」をつけてあげるにはどうしたらいいでしょうか。

 

本来、学校とはそういう場のはずではなかったのでしょうか。

 

まだ答えはでないけど考え続けたいです。