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読書をしながら、子育てしながら、お仕事しながら、人間の内面についていろいろ考えたりする毎日

トラブルからいじめにどうしてなってしまうの?

こども同士のトラブルについて考えていて、こちらの白梅学園大学教授の増田修治さんに取材した記事を見つけました。

 

悪いこととわかっているのに、なぜ「いじめ」がなくならないのか? | いじめの認知件数が過去最多に! その背景にあるものとは? | ママの知りたいが集まるアンテナ「ママテナ」

 

「悪いとわかっていてもいじめるということは、わかっていてもいじめざるをえないたくさんの状況が子どもたちを取り巻いているからなのです。つまり、子どもたちがなんらかのストレスを溜めているということなのです。人間は過度なストレスが溜まるとイライラ、ムカムカしますね。それを発散できる場所があればいいのですが、うまく発散できない場合、そのストレスの解消となるのが、他者、自分より弱い者を支配することなんですね。それが人間の心理なのです。大人のパワハラやセクハラも同じです」

 

わたしが個人的な経験から感じていたことを、的確に表現されていて感動しました。

 

そして、大人がこどもにプレッシャーやストレスを意図的にかけてしまい、そのこどもたちのストレスはさらに弱い立場のこどもたちに向けられてしまうという現実。

 

「今は日本全体の価値観が“勉強ができなきゃいけない”“しっかりしてなきゃいけない”“自立していなきゃいけない”と、単一化されているんです。昔は、“〇〇ちゃんは勉強はできないけど、優しいね”とか、“〇〇ちゃんは運動は苦手だけど、絵は上手だね”とか、それぞれのいいところを尊重し、いろんな子が居ていい。という考え方が今よりありました」

そもそも、学校は“いろんな子がいるんだ”ということを学ぶ場所でもあったハズなのだが…。

「今は日本全体が強さや、しっかりした子ども、できる子ども…を求めているのです。学校だけでなく、塾でも順位をつけられ、順位が落ちれば叱られる…。大人がそういうプレッシャーをかけるなかで、当然子どもたちは思い通りにいかないこと、うまくいかないことが出てくるわけです。そういうところで、もどかしさやイライラが募る。そんなとき、自分より弱い子や少し不器用な子、変わった子などをターゲットにして“いじり”というカタチからいじめをはじめていくのです」

 

さらにこちらの記事では親がどう対応するべきかということに踏み込んでいます。

 

「いじめ」をなくすために親がすべきこと | いじめの認知件数が過去最多に! その背景にあるものとは? | ママの知りたいが集まるアンテナ「ママテナ」

 

 

 「親御さんにお願いしたいのは、子どもに“ヘルプ”が言える能力を身に付けさせることと、言える環境を与えてやるということです。今の親御さんは、お子さんに強くあること、なんでも自分の力でできること、自立することを求めすぎています。幼稚園・保育園のころから“しっかりしなさい!”と言われ続けています。そうなると、いざというときにヘルプが言えなくなってしまう。実はそうじゃなくて、子どもは甘えつつ自立していくものなのです。むしろそうやって育った子は、いつか必ず自分から自立していけるのです。だから、大事なことは“自分はここまでは大丈夫。でも、ここからは助けて…”と、言えることこそが、生きていくなかで自分を守るために大事なことなのです」

これは、加害者側にも言えることだという。

「加害者にも、いじめる原因や動機というものがあります。それは、“ストレス”です。ストレスは人をイライラ、ムカムカさせ、やがてそれを解消するために弱い他者を支配し、攻撃するのです。それが人間の心理です。いじめの加害者の子も、何らかのストレスに追い込まれ、それを爆発させる前にヘルプが言える環境がないのです。だからこそ、いじめの加害者にも被害者にもさせないためには、親御さんたちが子どもをありのままに受け止めてやる。共感してやる。ヘルプを求められる環境を作ってやることが、いじめの抑止力になるのです」

日本全体が“しっかりした子ども”“強い子ども”を求める雰囲気があるからこそ、子どもたちはヘルプが言えず、苦しみもがいているという。

「親御さんとしては、いじめる側はもちろん、いじめられる側にもなってほしくないと願いますね。それならば、常に“私たちはアナタのことをしっかり見守っているから大丈夫”というメッセージをお子さんに送り続けることです。そして、何かあったときには、ありのままのわが子を受け入れること。“いざというときは、いつでも助けを求めなさい”と、言ってあげてほしいと思います」

 

ありのままのこどもを見て受けとめてあげる、そういうことがいまの子育てに求められているのですね。こどもが親を十分信頼して、なんでもいえるような状況を作ってあげたいですね。

 

いじめという問題の本質をつくとてもよい記事だったのでみなさんに読んでいただきたいです。この方の著書も読んでみたくなりました。

 

こども同士のちょっとしたトラブル

こども同士のトラブルの話を小耳にはさみ、いろいろ考えていました。

こういうのって、ささいなことでもいったん「この子にはだいじょうぶ」と思われてしまうとターゲットにされて、意地悪しているという自覚もなくストレス解消のためのサンドバッグのように扱われるケースがあると思っていて、特に敏感なタイプの子の親は気をつけて自衛する必要があるなとおもっています。

 

うちの上の子も幼稚園年長から小学校1年生の間こまごまといろいろあり、本人からちょくちょく話を聞いています。幸いいまのところ重大事態に至ってはないのですが、トラブルが小さいうちの対応が大切かなと感じています。

 

ちょっとしたトラブルとは例えば意地悪なことをいう、いやだといってもきかない、軽い仲間はずれにしてくる、遊びにいれてあげない、自分が悪くてもあやまらないなどなど。

うちの子はいやだと意思表示をすることはできているのですが、相手もしたたかで、のらりくらりといいわけをしたり、先生には事実と違うことをいったり。

ただ、まだ幼稚園児から低学年という年齢のこどもたちなので、悪い事をしているという自覚がなかったり、周りの状況がよく見えてなかったり、個人的に傷ついているだけだったり、いろいろなケースがあるみたいで、すこしすると仲直りしたり、仲良くなっていたりすることもあります。

 

なので、親が早合点して大騒ぎするのもどうかと思ったりして難しいです。

 

わたしが気をつけていることは

  • 日頃から自己肯定感をあげておくよう手をつくす
  • 毎日悩みを聞いてあげたり、家族で楽しいことをしたりして翌日はすっきり笑顔でいられるようにしてあげる
  • 相手の親とコミュニケーションをとり、良好な関係を築いておく
  • できれば相手の子とも顔を合わせ、どんなタイプなのか、どうしてそういう行動に出るのかリサーチする。そのためにはできるだけ心をフラットに調整してお話してみる
  • できるだけ、本人が嫌なことは嫌だといえるようサポートする。苦手な場合はスモールステップですこしずつ練習したり経験を積み重ねる
  • 最終的にどうしたいかは、よっぽどのことでない限り本人に任せてみる

ひとことでいえば、はっきりとNOをいえることが大事で、それができれば相手はあきらめて他へ行くんじゃないかとおもいます。下の子はそれができるタイプでいまのところそういうトラブルが皆無なのでそう思います。また、高学年の子のお母さんと話したりしても「低学年の時はいろいろあったけど、だんだん強くなって主張できるようになったら心配なくなった」と聞いたりします。元々の性格としてそういうのが苦手な場合も徐々に練習して経験を積みながら身につけていけばいいとおもいます。

上の子の場合は、普段から自己肯定感をあげることに注力し、できるだけ得意なことをアピールできる状況を作り、なにがあっても翌日は笑顔で行くことで、他のともだちと仲良くしたり、意地悪をいってくる子に「この子にはかなわない」とあきらめさせるという作戦をとってます。

 

あとは他の記事に書きましたが、心にひっかかることを家族に吐き出せるよう環境を整えてあげることは大事です。うちの場合はことばにして聞いてもらえればすっきりすることがほとんどのようです。

 

相手の親と普段から世間話できるくらいの良好な関係を保ち、いざという時にはなにかいえる状況にしておくと気持ちも楽です。相手の子のことが理解できれば「仕方ないな」とおもえることもあるし、有効な対応策もでてきやすいです。人間関係に誤解はつきものだし、自分のこどもの話だけで決め付けるようなことはしたくありません。

 

わたしは普段人付き合いは苦手であまりまめではないのですが、この1年はできるだけ保護者の集まりに顔を出しました。ただ笑顔で挨拶するだけでも回数が重なれば話しやすくなります。「あの子にこんなこといわれた」とこどもから話を聞かされた時、相手の親の顔が浮かんで「なにかあったら直接いえばいい」と思えるだけでだいぶ気持ちは楽になります。そこまでいかなくても、情報交換するだけでだいぶ状況が見えてくる事もあります。

 

小学校になると先生とのやりとりも少ないので、数少ない面談などの機会は特に用事がなくてもかならずいってなんでもいいからお話して、自分のこどもについて話してわかってもらえるようにしています。

スクールカウンセラーもうまく利用するといいとおもいます。

 

他になにかうちはこうしている、こうしたらうまくいった、こんな話を見聞きしたなど、身近な例があればぜひ教えてください。

才能のソムリエ

くだらない思いつきなのですが、書いておきます。

 

才能って、国語ができる、算数ができる、サッカーが上手、絵がうまい、みたいなわかりやすい才能がある一方で、わかりにくい才能もあります。

 

思考スタイルという側面からいえば、立案型、順守型、評価型という3つのうちでアイディアを出すのが得意な立案型やツッコミが得意な評価型は学校の枠にははまりにくいとか。(先日紹介した「本当の「才能」見つけて育てよう」より)

 

多動など先生を困らせる特徴を持っていると、せっかく持っているよいところが見えにくくなっているとか。

 

虹色教室のこちらの記事も興味深いです。

 

言語化しにくい長所について (レンズーリの拡充学習について 14) - 虹色教室通信

 

言語化しにくい長所について 2 (レンズーリの拡充学習について 15) - 虹色教室通信

 

頭と目の前の現実、どちらにも接続可能の知恵を蓄える1(レンズーリの拡充学習について 16) - 虹色教室通信

 

才能なんていうと、親としてはつい利用したくなる下心がわくのですよね。いい大学入ってくれたら安心だわ、とか。オリンピックにでてくれないかしら、とか。

 

逆に、目の前の子にそういうわかりやすい才能が見受けられないと、この子にはいいところなんてない、と短絡的に思ってしまったり。

 

日本のお母さんたちは謙遜半分のところもあるでしょうが、子供の話になるとここがだめ、あそこがだめ、という話になりがちな気がします。

 

なので、才能を評価するのではなくて、メリットデメリットを考えたくなる気持ちは一旦脇において、「才能を愛でる」「個性を愛でる」みたいな機会がもっともっとあるといいんじゃないかとおもったのです。珍しい動物を観察するみたいな感じで。

 

なにしろソムリエですから、何か役に立ちそうなことをいわなくてよくって、ただその子の芳醇な味わいについて語ればよいのです。「この子には渋い味わいがあるわー。そんな地味なことに注目するなんて」とか、「これだけ授業中に立ち歩いてあちこち探索するってことは好奇心が強いのかしら」とか、一見ダメに見えるところも味わう。

 

意外に他人の目から見るといい部分が見えやすかったりするので、5、6組の親子で集まって、ひとしきりみんなで遊んで、親同士がこどもに関して発見したいいことを話すとか。

 

わたし自身、自分のよいところが外にわかりにくいところがあるな、と感じているので、小さい頃、もっといろんな人がわたしのよいところに気づいて教えてくれていたらよかったな、とおもうことがあります。

 

親は普通に愛情を持って育ててくれましたが、わたしが敏感タイプだったためか折に触れて「難しい」「気難しい」「好みがうるさい」ということばをかけられていて、またいわれた方はそういうことばかり覚えていたりするのです。

 

また、それぞれの親がそんなふうに、普段イラッとくる短所から少しフォーカスを遠ざけて、全体から才能を味わう、愛でる、そしてそれをことばにしてみる、ことをして才能のソムリエになってみる遊びをしてみたら、楽しいんじゃないかとおもいます。

 

「うちの子は最初ちょっとスパイシーに感じるのだけど、意外にやさしい面が後からでてくるのよね」

「うちの子は先生に怒られてばかりだけど、友達はやたらとひき連れているから人望はあるタイプかもね」

「とにかくいい意味でも悪い意味でも驚かされることの連続。飽きないわ」

 

などなど。

 

育ててあげたら伸びていく「芽」はそんなところから出てくるのかもしれません。

 

一緒に才能のソムリエ遊び、いかがですか?

 

種まきチャレンジ

こどもが、「お庭がほしい」「畑がほしい」といいだしたので、種まきにチャレンジしてみることにしました。

 

しかしわが家は園芸関連はまったくの初心者。いままでもこれならだいじょうぶといわれた丈夫なハーブ類を枯らした経験多数。かろうじて、先日アボカドの種の水耕栽培を成功させたのが唯一の実績です。

 

とりあえず実家からあれこれあるものを調達してきて、ありあわせチャレンジ。うまくいくのでしょうか。

 

やり方はマイコー雑記さんのこちらの記事を参考に!こどもに見せたら楽しそう!と大盛り上がりです。

blog.goo.ne.jp

揃えたのは「種、植木鉢、土」です。

 

種は野菜と花の種。袋で売っていますが、ほんのすこしずつもらってきました。種の袋を並べてこどもに好きなものを選んでもらいました。春にまいていいことだけは確認しましたが、詳しい蒔き方などは、種の入っていた袋をおいてきてしまったので不明。とにかくやってみることに。

 

それぞれ

 

スナップえんどう、にら、ハナビシソウ朝顔

枝豆、にら、アスター、金魚草

 

というラインナップになりました。わたしは水耕栽培でだいぶ育ったアボカドと先日買ってきて生き残っているムスカリの球根を植えてあげることにしました。

 

標識作り

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植木鉢に土を入れて

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種をまきます

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お水をあげて

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これがすっかり大きくなって植えてもらえるのを待っていたアボカドさん

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観察ノートも忘れずに

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ムスカリの球根を植えたところの絵と、こんなお花が咲くといいな、という予想図

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うたを作りました♬

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さてさてうまく芽が出るでしょうか?

父と母と拡充学習

実家での活動を振り返っていて、自分の父と母について改めて考えました。

人間的な欠点はたくさんありますし、わたしはわたしで思春期はあれこれ難しかったので、一時は親子関係がほぼ断絶に近いところまでいったこともあるのですが、その時遠慮せず徹底的にやりあえたおかげで、いまは落ち着いています。

そしていま、親の孫に対しての接しかたを見ていると、けっこう拡充学習的なことをわたしにもしてくれていたんだなとおもいます。

母は、いろいろとひらめくタイプで、お菓子作りにしても、こどもとの遊びにしても、いいことを思いついた時に「ねえねえ、こんなことやってみない? おもしろいとおもうけどなぁ」といってくる時には、魔法のように、その活動が魅力的に見えたものです。

今回の滞在でも、こわれた時計で遊ぶ、とか採れたてわかめやあさりをこどもに見せる、とかいろいろひらめいて提案してくれたのは母でした。

父は、エンジニア気質の人で、家電は壊れたら父がいつも修理していました。家電以外もなんでも修理して使うことになっていました。ものごとは見た目じゃない。ちょっとくらいカッコ悪くても使えればいいんだ、ということを身を持って示してくれていました。新しい家具を買いに行っても「こういうのは見た目だけよくても作りがちゃちいことがある」とあちこちコンコンと叩いて、店の人に「これは参りましたね」などといわれていました。

わたしが小さい時は理系に育って欲しかったらしく、電子ブロックなど与えてもらいました。わたしに数学の才能がないことが明らかになるとあからさまにがっかりしていたのが記憶に残っています。

ただなにがどう役に立ってるか説明が難しいのですが、身近で家電を修理したり、自分で工夫してあれこれ作ったり工夫したりしている様子をそばで見ていたのは思考方法を形作る上でとてもよかったとおもいます。論理的な考え方や問題解決の手法を学ぶ上でも役に立ったとおもいます。

よくなにか壊れた時に声に出して「えーとここはだいじょうぶだ、ということはここかここがおかしいはずだ」などと壊れた場所を特定して直していたのを覚えています。

少なくとも、なんでも買ってくればいい、というような消費が当然という感覚ではなく、なんでも工夫できる、修理できる、お金をやたらとかけなくてもなんとかできるという感覚は育ててもらったかなと考えています。

待つ

 

創造する、特に絵を描いたり、小説を書いたり、企画を立てたり、なにか新しいことを生み出そうとするとき、必ず「待つ」というフェーズにゆきあたります。

アイディアって出そうとおもえばどんどん出る、というものではなく、ある意味自分のコントロールできないものです。たくさん出る時もあるし、そう出ないこともある。

明日まで作品仕上げなくちゃいけないけど、うまいことアイディアが浮かばない…なんてことはよくあります。

だから創作活動していると「待つ」ことが上手になります。「待つ」といっても、ただなにもしないのではありません。人によっていろいろなテクニックがあるでしょうが、無駄なことをしてみたり、あせらず運を天に任せて寝てみたり、とりあえず手を動かしてみたり、不調の時に備えてストックしておく、などいろいろなやり方があるとおもいます。

どちらにしろ、自分にはどうしようもできない、ということを受け入れて、その時を待つしか仕方ない、ということが、経験を重ねると実感されてきます。

普段創作活動をしていない現代人にとってはこの「待つ」ということ、けっこうハードルが高いかな、とおもうことがあります。

子育てでよくここは待つといいんだな、あえて手を出さないといいんだろうな、という場面って結構あるのですが、なかなかわかっていてもできない、ということってあるとおもうのです。

ついつい、こどもがやっていることはやめさせて、親の望むようなことをさせたくなってしまうんですよね。

まず、親が手を出すのを少し我慢して、こどもがなにをするのか見てみよう、一体この子はなにをするのだろう?という気持ちになること。

予定を立てる時に自分がやらせたいことじゃなく、こどもがやりたいことをやらせること。

自分の子育てを振り返って、なぜこの2つができるようになったのかといえば、ただ単に、こどもが小さい頃しょっちゅう泣いたり怒ったりしていたので、それ以外にどうしようもなかったからです。

やはり、こどもが反抗したり、親を困らせる時というのは親の学びのチャンスですね。

現代人は、忙しく「なにかする」ことで不安を解消している側面があるので、お教室へ行かせること、人前でこどもがよいパフォーマンスを見せてくれることで不安を解消している場合は、やめた方がいいらしい、とおもってもなかなかやめるのは難しいのかもしれません。

あれこれしないでゆったりじっとしていられる、というのは忙しく日々を過ごす現代人にとってなかなかに上級者向けの技だと思います。

忍耐力、というと語弊があるのかもしれませんが、余計なことをしないでいられる力、それでも自分を信じて立っていられる力が必要ですね。人間力といったらいいでしょうか。

自分の中の不安とかネガティブな思いをまっすぐみつめて、受け止めて、不安から自動的にあれこれ行動するくせを卒業することも大事だと思います。

子育てって楽しいこともたくさんあるけど、厳しいといえば厳しい、難しいといえば難しいものですね。

だって、そもそも親自身が

「自分で興味を持ったことから熱中しはじめて、そこから困難な課題を見つけだし、自分で設定して乗り越えていく」という本当の成長に結びつく体験

を経験して、それを評価してもらえたり、認めてもらっているでしょうか。
少なくともそれが素晴らしい、人間にとってとても深くて大事な体験だとわかっているでしょうか。

それに自分自身の興味、心の奥底からわきあがってくるものに対して

それに気づいて、認めてあげて、十分繰り返せるようにサポートしてあげること

ができている大人がどのくらいいるだろうかとおもいます。

自分に対してできてないことを他人にしてあげるのはとても難しいですよね。


そのためには体当たりで子育てしながら体得していく、というのもいいですし、うまくいかない、なんだか行き詰まっているという場合は目先を変えて、自分がなにか創作活動をしてみるというのも効果的だとおもいます。第一楽しいですよ。

こどもは日々創造する生き物です。別に絵を描いたり工作したりしなくても、常に新しい自分を創造し、脱皮していく生き物といってもいいとおもいます。自分が創造し、きらきらした毎日を生きることで、その成長をサポートしやすくなるとしたらこんなにいいことはないとおもいます。

 

*文中の引用は虹色教室通信より

 

このシリーズ記事はこれでおしまいです。

おそうじロボ/こわれた時計/わかめとあさり/フェルト手芸

実家に帰省していました。

その間にあれこれ拡充学習的な活動をしましたのでざっとまとめておきますね。

 

その1 おそうじロボを修理して動かす

 

ちゃお4月号付録のおそうじロボのことを虹色教室で教えてもらって先日購入してみました。

 

しかし、箱を開けて組み立てているときにぶちっと一箇所配線を切ってしまい、それが原因かどうか、つなげてもまったく動かない事態に。

 

実家には機械いじりの好きな父がいるので、テスターもはんだごてもあります。これを機会に直してみようと計画していました。

 

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まずはテスターってどんなものかいじってみます。赤のこてと黒のこてをあてて、針がぴっと動くときと動かないときがある、というのをやってみています。

 

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プラスチックのお人形にあてるとどうなる? 電気を通さないので針が動きません。

 

実際に回路のいろんな部分にあてて、どの部分が電気が通じてないか確認。通じてないところの配線を直します。ビニールを切って銅線を出してつなぎなおしたりしている間に、余計なところを切ってしまったりして、とうとうはんだごての出番。

 

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危ないから最初は大人がやっていたのですが、やはりやってみたいというので上の子がチャレンジ。ケガもなくうまくできました。

 

ロボを動かしてみた結果大成功! ちゃんと動きました! 障害物や机から落ちそうになるとセンサーが動いて回転して向きを変え、違う方向に走るはずですが、回転すると回転しっぱなしになるというのは予想外でしたが、それも含めていろいろ発見がありました。

 

その2 こわれた時計で遊ぶ

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実家の時計が壊れたらしいのですが、こどもたちが遊ぶだろうととっておいてくれました。下の子はまだ時計が読めないので指でくるくるまわして何時?という遊びをしています。中を分解したらおもしろいかとおもったのですが、開けてもいまどきの時計はつまらないよ、と父。

 

その3 わかめやあさりを観察

 

こどもが喜ぶだろうと、朝車を飛ばして採れたてのわかめとあさりを買ってきてくれた両親。わかめってどんな風に生えてるか知ってる? とお話しながらわかめ登場。

 

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 一番下はフリルのようになっていて、それから茎の部分(いわゆる茎わかめ)、先っぽはやわらかくて、よくお味噌汁に入っている、わたしたちの知っているわかめ。

 

大人もびっくりのわかめの全体像でした。

 

また、お湯に入れると一瞬で緑色に変わるところも見て、みんなですごーいといいました。

 

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 あさりは塩水につけてしばらく暗くしておいてから出してみると管をにょろにょろ出してぴゅーぴゅーとお水を吐き出してくれました。

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最初こわがっていたこどもたちですが、棒でつっついてみたり虫眼鏡で見てみたりしているうちにおもしろくなってしばらく観察しました。

 

その4 フェルトでマスコット作り

 

実家に行くとなにかしら手仕事にチャレンジすることになりますが、今回はフェルトでなにか作ってみようということに。

 

下の子はピンクのうさぎが作りたい、といいました。

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こんなかたちに二枚切って、まわりを縫って、綿を入れました。目と口はボタン。ほっぺとリボンはフェルトを切ってボンドで貼りました。金具でかばんにつけたらマスコットに!

 

上の子は何作りたい?と聞くとまず「設計図を描く!」といってしばらくあれこれ描いていました。悩んだ末リスに決定。

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綿は入れないでぺたんこにしました。耳は別のパーツにしてボンドで貼りました。黒のステッチでしましまを表現。

 

どちらも大人が手伝いましたが、こどもたちも縫いました。やっぱり自分で作ると愛着が違うようです。

 

その5 ボールキャリー付きリュックのDIY

 

これはわたしと母であれこれいって作ったのですが、サッカーの練習にいくときに、リュックにボールキャリーがついているものを見かけて、あれは便利だね!ということになり、100均で材料を買ってきてDIYしました。

リュックに巾着型の袋をくっつけただけです。袋にゴムのループをつけて、リュックにボタンをつけて着脱可能に。

 

リュックに水筒などを入れて、袋の部分にボールを入れて背負ってサッカーの練習にGO!

 

と、ここ数日の活動の報告でした。