思いがけないおきゃくさま
なんだかいろいろなことが起こり、なかなかブログの記事が書けない日が続いています。
いま我が家にはインフルエンザさんがいらっしゃっていて、その対応が目の前の課題です。
上の子がA型と診断され、本人は薬を飲んでいるので回復傾向ですが...なんとか他の家族にうつさないようにするにはどうしたらいいか悩みます。
とりあえず部屋着にしているジャージの腰のところに、マイタオルと携帯用の消毒アルコールジェルをつけてやり、マスクをさせています。
これでなんとかなることを祈って!
「時計つくりのジョニー」
- 作者: エドワードアーディゾーニ,Edward Ardizzone,あべきみこ
- 出版社/メーカー: こぐま社
- 発売日: 1998/07/01
- メディア: 単行本
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ジョニーはものづくりが大好きな男の子。お父さんやお母さんには「またばかなことして」「うるさい」といわれているけど、へこたれません。「時計の作り方」というお気に入りの本を何百回めかに眺めていてふとひらめきます「ぼくも大時計を作ろう!」いつものように両親にはできっこないといわれ、学校の先生にも「あなたのようなおちびさんには無理」とばかにされ、そのせいで学校の友達からもからかわれ...。
でもスザンナという女の子だけは、ジョニーはものづくりが上手、手先が器用、と認め、応援してくれます。
部品が足りない、どこにも売ってない、というピンチの時に鍜治屋のジョーさんに相談すると、ジョーさんは親切に歯車やおもりを譲ってくれ、ない部品は作ってくれます。
とうとう振り子で動く大時計を完成させるジョニー。お父さんやお母さんもびっくりしながら認めてくれ、お披露目のお茶会を開いてくれました。
ジョーさんはジョニー、スザンナと3人で時計作りの会社をやろうといってくれます。
ざっとこんなあらすじのお話しです。
両親のジョニーへの無理解ぶりはあきれるほどですが、こどもの好きなこと、興味のあることがまったくの無駄、ゴミとしか思えず、応援できないという人はいまでもたくさんいることでしょう。
また、きらりと光るこどもの才能ややる気を無残に圧し潰す教師もたくさんいるでしょう。
だけど、好きなことにかける情熱はそうした障害を超え、ジョニーが自分を理解してくれる人たちと結びつくことを助けてくれます。
現代のたくさんのこどもたちがこのお話しを読んで、いくらわかってもらえなくても自分の好きなことや夢に打ち込んでいいんだ、と思ったり、他の人の夢も応援してあげよう、と思ったりしてくれるといいなとおもいます。
いつまでも古くならない名作です。
一方通行のコミュニケーションと双方向のコミュニケーション
前の記事で紹介した内田伸子さんの提唱する共有型しつけについて簡単にまとめてあるサイトをみつけました。
共有型しつけとは
子どもと楽しい時間を過ごしたり、子どもが喜びそうなことを考えて、一緒に体験しながら学んでいくしつけ。親が子どもが好きそうなことを考えたり、一緒に旅行や外出するのが好きだったり、子どもに絵本の読み聞かせをしている家庭の、親子のコミュニケーションです。
一方 強制型しつけとは
決まりを作り、うるさく言ってしまったり、何度も事細かに言い聞かせたり、指示をするなど、子どもの気持ちに寄り添わずに大人の意見を重視するしつけ。
いまアサーションといって、「お互いを大切にしながら、素直にコミュニケーションするための考え方と方法」の本を読んでいたのですが、それにも通じるものがあるなとおもいました。
攻撃的に一方的に自分の主張を押し付けるコミュニケーション、逆に自分のいいたいことは飲み込んで相手に合わせるだけのコミュニケーション、こういう一方通行のコミュニケーションは、自分がそうした環境で育って無意識に身につけているとそのことに無自覚です。
また、習慣的にこうした型にはまったコミュニケーションを反射的にしているだけで、本当に自分のしたいことはなんだろう、ということに気づいていない場合もあるかもしれません。
適切な自己表現の方法についてかいてある文章を引用します。
アサーティブな自己表現とは自分の考えや気持ちを明確にとらえて、それを正直にわかりやすく相手に伝えてみようとすることです。同時に、相手が自己表現することを当然とし、その考え、気持ちを理解しようとします。
アサーティブな自己業限には、二つの側面があります。一つは「自分の表現」を大切にしようとする側面で、二つのステップがあります。最初のステップは、自分の意見や感じを確かめること、まず自分の気持ち、表現したいことを自分のなかではっきりさせることです。
自分を確かめることに集中すると、ときにはっきりした気持ちや意見もあるけれど、曖昧な考えや、悲しくもあり腹立たしくもありといった両面的な感情や迷い、困惑などがあることがわかるかもしれません。
第二のステップは、確かめた思いを自分のことば、表現法を使って、なるべく率直に言ってみようとすること。「迷っている」「困っている」「うまく言えない」時はそう伝えてもよいのです。それが率直で正直な思いだからです。
自分の気持ちを確かめ、それを伝えたら、次に「相手の表現」を大切にする側面に心を向けます。自分の思いを相手はどう受け止めたか、きちんと見届け、対応しましょう、
相手にも同じように、思いを確かめ、表現するプロセスがあります。それを待ち、聞くことではじめてアサーティブなやりとりが成立します。
普段からこうしたコミュニケーションができているか、振り返ってみたいですね。そして自分とこどもの間でも、こうした関係でコミュニケーションしていき、こどもが他人とやりとりする時もこのようにお互いの違いを認め合いながら尊重しあえるようにサポートしていきたいです。
この本はとてもよかったので、また機会があればじっくり紹介したいです。
共有型しつけがいいことはわかったけどどうやったらいいのかな?という方にもおすすめの本です。
自発的にその子の喜びを追及させてあげることが学力を伸ばすーー共有型しつけのこと
最近、内田伸子さんという研究者の本を読んでいます。
こちらの記事を読むとエッセンスがわかります。
発達心理学の研究を長年行ってきた立場から発信されています。
例えば
- 想像力は「生きる力」である
- 楽しいと感じた時に記憶力が高まる
- 叱られながらやった勉強は身に付きませんが楽しく活動しているときには「好きこそものの上手」という状態になり、子どもの学力も伸びるのです。
- 幼児期の豊かな体験が後の脳の成長の基盤になる
- 子どもの主体性を大事にする大人の関わりが子どもを伸ばす
- 強制型しつけより共有型しつけの方が有効であり、大きくなってからの難関を突破する力につながるというデータが出ている
- こどもが疑問を持った時すぐに答えを与えるのではなく、こどもが自分で考えるための足場をかけてあげるようなサポートをしてあげるとよい
というような、わたしがいままでの子育ての中の試行錯誤から「こうしたらいいんじゃないか」と考える子育てのことが書いてあり、「やっぱりこれでいいんだ!」と嬉しくなりました。
共有型しつけとは「親子のふれあいを大切に、子どもと楽しい経験を共有したいというしつけ」のことだそうで、こうした関わりがこどもをいろいろな意味で伸ばすことが研究により明らかになったそうです。具体的な関わり方も示してありわかりやすいです。
第6回「子育てに『もう遅い』はありません~どの子も育つ共有型しつけのススメ~ 」(1) - 日本子ども学会 ~子どもたちの健やかな成育環境づくりを支援します~
親が子供に接する時に気をつけてあげてほしいことが簡潔に述べられている部分を引用します。
自分から本当にやろうとしないと自分の力にはなりません。自分で関心を持てばあっというまに習得してしまいます。文字は子どもの関心の網の目に引っ掛かってくるにすぎません。肝心なのは文字が書けるかどうかではなく、文字で表現したくなるような内面の育ちであるというふうに思われます。つまり創造的な想像力を育むことが、乳幼児期の発達課題になるであろうと。そこで、保育者や保護者、指導者の皆様に申し上げたいのは、次の5点です。
第一に、子どもに寄り添うと、安全基地になる。子どもとの間に信頼関係をしっかり作り上げることが大事です。
第二に、その子自身の進歩を認め、ほめていただきたい。ほかの子とは比べない5歳後半になれば、展示ルールが獲得され、人目を気にしたり人と比べたりするようになりますから。親はその子自身の進歩を認め、ほめていただきたいと思います。常に、「3つのH」―ほめる、励ます、(視野を)広げる ということばをかけていただきたいと思います。
第三に、生き字引のように余すところなく定義や回答を与えない。
第四に、裁判官のように判決を下さない。禁止や命令ではなく提案の形で言ってほしい。「何々したら」と提案したら、「僕したくない」と、子ども自身で選択する余地があります。このように、子ども自身が主体的に判断して選べるような選択の余地のある言葉をかけていただきたいと思います。
第五に、子ども自身が考え、判断する余地を残すこと。このような働きかけ、つまり大人が子どもの主体性を大事にした関わり方をすることによって、子ども自身、自分で考えるという自律的思考力や、創造的想像力が育つのです。
親は、お子さんが疑問を感じた時、すぐに回答や解説をしないでいただきたいと思います。お子さんがどんなところに躓いているのか、どこに疑問を感じて先に進めないのかをよく洞察してください。お子さんが迷っている点が見つかれば、足場(scaffolding;注:教育心理学者ブルーナー;J. Bruner, 1981)を架けて、お子さんが一歩踏み出せるようにしてあげてほしいのです。
おうちディスコ
最近雨が続き、サッカーの練習もできず、運動不足のわが家。先日夫がdanceの時間を作ってくれました。
といってもベッドのある部屋で大きい音で音楽かけるだけなんですけどね...。
ただとびはねるやら、まわるやら、2人で合わせるやら...こどもたちはいろんなジャンルの音楽で、音に合わせてパパと一緒に踊りました。
一瞬一瞬の音に合わせて、頭を空っぽにして即興的に動きを繰り出して行くのは、拡散思考というか、アイディアをとにかく出すブレインストーミングにも似て、なかなかクリエイティブな体験かなとおもいます。
とにかく楽しいですし!
おうちディスコ、おすすめです。
人と人を比べるということ
最近、自分の中でテーマとして出てきていることに「人と人を比べて順列をつけて、優越感を得るってどういうことなんだろう?」というのがあります。
そういうことを考えさせられる出来事が続いています。
まだ、自分の中でそれがどういうことなのかよくまとまっていませんが、ひとまず植松努さんの文章を読みながら考えています。
tsutomu-uematsu.hatenablog.com
例えば、こちらのブログの文章にもいろいろ考えさせられます。
人はそれぞれまったく違う輝きを持つ存在で、本来は比べられるものではありません。なのに、人はなんとか順位をつけようとする。年齢だとか、成績だとか、スポーツだとか。それはずっと昔からそうです。
無理なのになんとか測ろうとしても、それはものごとのほんの一部を取り出して平面的にのっぺりとしたものに直して、そこにメジャーをあてて測るようなことになります。
順位をつけたくなる気持ちがなぜ出てくるかといえば、人の心の中に、そのままの自分に自信がない、そのままでいいとおもえない、という気持ちが存在するからなのかもしれません。
順位をつけて、自分は最下位じゃないと思うと少し不安がやわらぐ気がするのではないかとおもいます。
でも結局それで完全にすっきりはしないから、いつも不安に苛まれているから、強迫的に常に自分の立ち位置を確認しなくてはいけなかったり、自分がいかにすごいかアピールし続けなきゃいけなかったり、時に自分の不安でいっぱいになりすぎて、だれかを蹴落とすことに無自覚だったり、するのかもしれません。
やり続けてしまう、というのはそれが究極の問題解決になってない、という事だと思います。ずっとそこにとらわれ続けている、次のステージにいけない、という事だと思います。
「自分は自分のままですばらしい」「自分は人と違うからいいんだ」「生きていてよかった」「自分はここにいていいんだ」としっかり実感することができれば、そんなくだらないことはしなくて済むし、不安に駆られて疲れなくていいし、余裕ができてもっと人に気遣いできるようになる気がします。
順位が気になってしまう、という時は、自分の心の中をよく観察して、その原因をよく見つめたいですね。
人より優位に立てば、その場は少し不安から逃れられるかもしれないけど、究極の解決にはなっていない、ということ、よく考えてみたいですね。
また、成績やスポーツ、ステータスなど、人と人を比べる指標というものはすべて、ものごとのほんの一部のことしか表していない。人間の価値とはもっと時間的にも空間的にも奥深いものだ、ということも忘れないでいたいです。
だれかと比べない自信というのは、植松さんのいうように、幼いころの家族からの無償の愛の経験だとか、自分で好きな事をやり続けていろいろなことができるような経験だとか、そういうものから生まれるのでしょうか。
そういうものが得られなかったこどもにも、地域や社会で「だれかと比べない自信」をつけてあげるにはどうしたらいいでしょうか。
本来、学校とはそういう場のはずではなかったのでしょうか。
まだ答えはでないけど考え続けたいです。