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読書をしながら、子育てしながら、お仕事しながら、人間の内面についていろいろ考えたりする毎日

ちょっとしたことで泣いてしまうー敏感な子の日常

この日は上の子が新しい筆箱が欲しいというので、お買い物にいきました。

 

でも行ったお店で欲しい色は売り切れ。

 家の近くの小さな文房具屋さんにあるかな?とまわってみることに。

 しかし、そのお店はお休みでした。

 

すると上の子は泣き崩れてその場から動かなくなってしまいました。

 

こういうのは久しぶりです。でも小さい頃にはよくあったので別に驚きませんけどね。大きくなってしっかりしてきたといっても、根本は変わっていないのですよね。

 

お腹がすいたとぐずる下の子を連れ、ひとまずパン屋におやつを買いに。

そこで上の子のクラスメイトとお母さんに会いました。事情を話すとその子は「じゃあ見に行ってくる!」と。

 

うちの子もよくそういうことあるんですけどね。その子も繊細だから、他の子が泣いたりしているところが気になるのか、見に行きたがるんですよね。

 

パンを買ってから上の子と別れた場所に戻ってみると、友達に泣いているところを見られなくないのか、少しおとなしくなり、家に向かってのろのろと歩いていました。

 

買ってきたパンをわたして、歩きながら食べていいよ、というと少しおちついてきた様子。

 

でも友達と別れるとまた泣き出しました。下の子がまた、「なんでさっき泣き止んでたのにまたなくの?」とかいうので一層ひどく泣いたりして。

 

なんとか家にたどり着いておやつを食べてから、パソコンを見ながら筆箱をいろいろ検討して気に入ったのを注文してあげました。

 

たぶん、新学期前にはいつも不安になるのでそのせいもあるのかな。わたしが仕事を始めるので、そのことも少し不安なのかも。

 

そういうときは、ささいなことで心が折れてしまうようです。

 

表面的に見ると、どうしてそんな小さなことで泣いてしまうのか、大人にはなかなか理解できませんよね。わたしも最初はよくわからなかったのですが、回数を重ねるにつれだんだんわかってきました。いろいろ心の中の辛い思いが積み上がって、最後の一押しみたいになっているのでしょうね。

 

敏感な子によくあることですが、みなさんとシェアしたいと思って書いてみました。

 

アーノルド・ローベル「ふたりはいっしょ」

 

ふたりはいっしょ (ミセスこどもの本)

ふたりはいっしょ (ミセスこどもの本)

 

 この本は名作すぎるほどの名作で、しかも有名な絵本だとおもうのですが、わたしはなぜか読んだことがありませんでした。

 

上の子がこのシリーズの「おてがみ」というお話を学校でやっていたのですが、なかなかいいお話だったので、下の子用に図書館で借りてきたものです。

 

短いお話がいくつか入っていて、どれもいいですね。

 

一見なんてことないように見えるのですが、何度読んでも飽きないです。

 

特にわたしの心に響いたのが「はやくめをだせ」というお話でした。

 

かえるくんのにわがうらやましくなったがまくん。かえるくんはそんながまくんに花の種をあげます。

 

「ここに花の たねがあるよ。じめんに まけば、じきに きみの にわが

できるよ。」

「じきってどの くらい かかるの?」がまくんがききました。

「すぐ じきさ。」かえるくんがいいました。

 

 こういうがまくんとかえるくんのやりとりが、味があって好きです。

 

「じきに」花が咲くと聞いたがまくんは走って家にかえってたねをまきます。

 

「さあ、たねよ、」がまくんは いいました。

「大きく なあれ。」

がまくんが 二、三度

いったり きたり しました。

たねたちは 大きく なりません。

 

このほのぼのしたユーモアがたまりません。

 

どうして芽がでないのかわからないがまくんは大きな声でたねによびかけつづけ、しまいにかえるくんがそれを聞きつけてやってきます。

 

「この さわぎは いったい なんだい?」

かえるくんが たずねました。

「ぼくの たねったら 大きくなって くれないんだ。」

がまくんがいいました。

「大きな こえを だしすぎるんだよ。」

かえるくんが いいました。

「かわいそうに たねたちは おっかなくて

大きくならないんだ。」

 

 かえるくんは

 

「二、三日 ほうっておいてごらんよ。 日をあてて 雨に うたせてやりなよ。

じきに きみの たねたちは

大きく なりはじめるよ。」

 

とがまくんに教えてあげます。

 

その ばん、がまくんは まどから 

そとをながめました。

「ちぇっ!」がまくんは いいました。

「ぼくのたね 大きくならないや。

きっと くらいのが こわいんだ。」

がまくんは 何本もろうそくを もって

にわに でました。

「おはなしを よんで あげるからね。」

がまくんが いいました。

「そう すりゃ こわく なくなるだろ。」

がまくんは たねたちに ながい おはなしを

よんでやりました。

 

おとなの読者からすれば、そんなの芽がでるかどうかに関係ない、といいたくなるところです。でも、がまくんはどうすれば芽がでるのかは知らずにやっているのです。わからないから、種によいとおもわれることを一生懸命やってあげるのです。自分がやってもらったらうれしいとおもうことをしているのかもしれません。

 

がまくんは他にも一日中うたをうたったり、詩をよんであげたり、音楽をきかせてあげたりします。

 

がまくんは じめんを 見つめました。

たねたちは まだ 大きく なりません。

「ぼく どう したら いいだろ?」

がまくんが さけびました。

「きっと これ せかいじゅうで いちばん 

こわがりやの たねなんだ。」

 

それから がまくんは ぐったり つかれて

ねむってしまいました。

 

そのあと 起きてみるとかえるくんがいて、たねから芽がでていました。

 

「ああ とうとう。」

がまくんは さけびました。

「ぼくのたね、 おっかながる こと やめて

大きくなりだしたんだ。」

「いま きみにも、 いい にわが 

できるところだよ。」

かえるくんが いいました。

「うん、そうだ、」がまくんが いいました。

 「でも かえるくん。きみの いう とおりだよ。

とても たいへんな しごとだったよ。」

 

ここまで読んでわたしは、敏感さを持った上の子に対して、どうしてあげたらいいかわからずに、奮闘してきた日々を思ったのでした。

 

本当に、泣いてぐずってなにかを訴える我が子を目の前にして、どうしてあげたらいいのか、なにを求めているのか、どうしたらこどもが楽になるのか、見当もつかなかったのです。

 

なので、全力でいいとおもわれることをなんでもやってきたのです。

 

がまくんのように見当違いのこともたくさんやったとおもいます。

 

その中でなにがよかったのか、定かでない部分もあります。

 

でもふと気がつくと、大人を困らせるような過敏さは影を潜め、敏感さという長所にも短所にもなる個性は持ったまま、すくすくと成長しているこどもの姿がありました。

 

それも「ぐったり疲れて眠って起きてみると、芽が出ていた。」という感覚にぴったりくるのです。

 

 よくわからないけど我が家の「おっかながりやのたね」は、親が全力を尽くして自分のためになにかしてくれている、ということはなんとなく感じて、こういう場所なら安心して芽を出せるな、とおもってくれたのでしょうか。

 

 「たいへんだったけど がんばったね」とがまくんにねぎらってもらったような気持ちになったのでした。

忖度する人、させる人

忖度弁当やら忖度まんじゅうやらが売り出されているというニュースを見て、まあそういうことにユーモアを持って突き放して見る視点も大事かな、と思いつつ、日本社会に蔓延する「忖度」というものについてよく考えて見ることも大切なんじゃないかとおもっています。自分なりに考えたことを書いてみます。

 

 

 

わたしの経験から思うのですが、敏感な人って他人の言動の奥にある気持ちや本当の希望みたいなものを感じ取ることが多いと思うのです。

 

「本当はこうしてほしいなあ」ということばにならない思いを、無意識に受け取ってそれを実現しなければと思ってしまうと、忖度する人になってしまうのかもしれないな、と思います。

 

必要以上に忖度することはないのですが、そのへんに無自覚、無意識のままなんとなく他人の希望を感じてそれをかなえてあげてばかりいると「なんでわたしって他人の犠牲になってばかりいるんだろう?」となってしまう可能性があると思うので、敏感な人は気をつけた方がいいなとおもいます。

 

わたしの場合は「なんか表面的には礼儀正しい会話してるのにすごく疲れる」というような時は「相手の無意識のどんな思いを感じているんだろう?」と内省する時間をとります。

 

すると大体「ああ、相手のこういう思いを感じて疲れたんだ」ということがわかります。

 

わかった上で、それを実現してあげたいなとおもえばそうすればいいし、そうじゃなかったら「そうかなるほど。でもわたしはそうはおもわないな。」とおもって放っておけばいいのです。

 

忖度させる人、というのははっきりいうこともはっきりいわれることも苦手で、気が弱い人なのじゃないかと思います。本来、自分の意見をきちんとことばにして主張することもできないような人がぶつぶつひとりごといっているのをいちいち拾ってあげる必要はないのです。

 

ぶつぶつがしつこい時は根拠を示して自分の意見を論理的に説明します。すると「いやあ、反対するつもりじゃなかったんだ。なるほどね。」みたいな返答が返ってくることが多いです。

 

忖度させる人のほとんどは、議論する気はないのです。ただ自分の無意識の思い込みや願望を他人にもあてはめようとしているだけなのです。(もっとたちの悪い場合はパワハラやセクハラにもなることがあるとおもいますが、基本は同じ気がします。そしてその場合も始めにはっきりNOをいってエスカレートさせない、というのが1つの防御方法だと考えています。なぜなら相手は利用できない人に興味はないからです。)

 

もしそこで建設的な議論になるなら、相手の意見を冷静によく聞いたらいいだけです。相手も自分の無意識の願望や不安がことばになって白日のもとにさらされると冷静になり自分がいかにおかしいこといってるのか、はっと気づくこともあります。

 

また、自分の中の不安、弱み、自己否定感にも自覚的である必要があるとおもいます。

 

そうした不安が引き金となって、必要以上に他人の要望をかなえてしまう、ということもあるからです。わたしの経験だと、よい意味で自分を中心に生きていることができるかどうか、ということがポイントだとおもいます。(かならずしも利己的ということではありません。どちらにしても他人を中心に生きるのは不健全ですよね。)

 

わたしは機能不全家族で育って、そのへんの失敗は数多くあり、大人になってからあれこれ試行錯誤した結果、やっとうまくいくようになりました。

 

最近は、周りから雑音が聞こえてきた時に、自分はこうしたいんだ、という思いをよく確認して、意識してその気持ちを大切に自分の中で持っているようにしています。ことばでは相手の話をうんうん、と聞いているのですが、自分の中では(ことばにせずに)こうしたいという強い気持ちを持ち続ける、という感じです。

 

すると、なぜか反対していたはずの人がひとりふたりと賛成してくれ、自分のやりたいことが実現できるという流れになることが多いです。

 

またそのこともじっくり書いてみたいです。

海の見える公園で

この日は海の見える公園に行きました。

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海が見えるとなぜだか気持ちがゆったり、リラックスします。

 

きょうの遊びはまず遊具から。 お家のような滑り台を見ると、バスですよーおのりくださーい!とバスごっこになります。 手形のところに手を合わせると、ピッと音がして、乗れるんだそうです。なにかの認証? どこに行くの?と聞くと、お空に上ります!とのこと。空を飛ぶバスだったみたいです。

 

木の茂みの間の空間で、こんどは焚き火ごっこ。キャンプに行った上の子がリードして拾ってきた木を組んでいました。下の子はなぜかハンバーグを焼いていました。

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木登りしたり、木の皮を剥くのに熱中したり、思いの外きょうはロングコースです。 上の子は合間にやはり縄跳びです。 人間のご飯を狙うトンビがものすごく低空飛行してくるおかげで、間近でよく見ることができました。

 

 

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いつも他の子がザリガニ釣りしてるのを見ていたので、きょうはザリガニ釣りに必要な道具を持ってきたのですが、 残念、一匹も見当たりません。

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でもなにか動いているものが?! メダカくらいの大きさのお魚です。 上の子は魚とり網ですくって捕まえてバケツに入れました! そうなると下の子も自分で取りたくてたまらなくなりました。 なかなかみつからなくて、もう全部とっちゃったのかなあ、とあきらめかけていましたが、いました!すばやくすくったら、取れた!満面の笑みで大満足の下の子でした。

 

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予定よりかなり時間オーバーしていたのでここで終了!お腹が空いたのでコンビニでおにぎりを買って食べました。

深くリラックスしたのか、帰り道珍しく2人でくーくーお昼寝してしまいました。

 

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獲れたてカレイをいただきに

この日は獲れたてのカレイを分けてもらいに、海のそばの知り合いのお宅へ。

さっきまで暴れてたんだよ!という話を聞きながら、袋の中のカレイをこわごわ覗き込んでいました。

 

その後、海の見える公園でひと遊び。上の子が凧揚げしていると、親切なおじさまが、コツを伝授してくれました。

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波が打ち寄せるのをぼーっと眺めるのもいいものです。

下の子は松ぼっくり集めに夢中。しこたま集めました。松ぼっくりが付いた松の枝も発見。

あとはなわとびなど。

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帰ってからは、こないだテレビでカレイとヒラメの目の位置のことやってたけど、どっちがどっちだっけ?と話しながらじっくり観察。口開けてみようか?というときゃーと大騒ぎでした。

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撫でてみると、すーっと撫でられる向きと、引っかかって撫でにくい向きがあるのがわかりました。

虫眼鏡で見てみると細かいウロコを発見。


上の子はその後スケッチしていましたが、小さいウロコを
みっしり描き込んでいました。

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下の子が見つけた松の枝は、門松飾りに使ってもらいました。ついでに落ち葉掃きもしました。

 

 

郊外の公園でなにもしてない時間

郊外の実家のそばの公園に遊びに行きました。

この公園はだだっぴろくてなにもないところが最高です。

 

着くとすぐ、いま二人が夢中の縄跳び。どっちが上手か張り合ったり。

上の子は、最近コツがわかってきたのか、たくさん跳ぶ、うまくなる、うれしくてもっと跳ぶ、といういいサイクルに入ってます。

 

日陰で霜柱がたくさん残っている場所を発見!霜柱の道だ!みてー宝石みたい!とひとしきり夢中になって霜柱を掘り返しました。

 

公園の奥の芝生の広場を目指して歩く間にも、どんぐりをみつけて座り込んで集めたり、また縄跳びしたり、寄り道だらけでなかなか到着しません。

 

次はサッカーボールを取り出して遊びます。

こどもたちたくさん遊びに来ていましたが、みな思い思いにやりたいことに熱中していました。サッカー、縄跳び、バドミントン、どれもゆるく楽し気です。

 

広場の奥は緩い傾斜の岩肌の丘があり、こどもたちは競ってそこに上ります。なぜかみんな必ず登ります。みんなが楽しそうに登っていると、ものすごく魅力的な遊び場に見えてきます。うちの子たちももちろん登りました。

楽しく遊ぶうちに、2人で自然に、前よりも高いところに登ることにチャレンジしていました。上の方は竹藪になっていて、少し冒険気分が盛り上がる感じになっています。竹をゆらゆら揺らしてみたり、ターザン気分で叫んだりしました。

 

ここの広場は広いので、去年もしたカイトで凧揚げ。短めに持って走ると、いい具合に飛んでくれました。

 

なにもしてないような、いろいろしているような感じで気の向くままに好きな事をするのは、家でも同じなのですが、自然の中でぽかーんと過ごす時間はまた実に豊かでリフレッシュします。空が青かったです。

 

写真撮り忘れました。

明けましておめでとうございます

いろいろ起こった年末だったので、2018年の始まりをとても眩しく感じています。

 

実家に帰っていたためしばらく更新できませんでしたが、その間の出来事などアップする予定です。

 

新しい年をみなさんと迎えることがとても嬉しいです。

どうぞよろしくおねがいします。

 

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