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読書をしながら、子育てしながら、お仕事しながら、人間の内面についていろいろ考えたりする毎日

父と母と拡充学習

実家での活動を振り返っていて、自分の父と母について改めて考えました。

人間的な欠点はたくさんありますし、わたしはわたしで思春期はあれこれ難しかったので、一時は親子関係がほぼ断絶に近いところまでいったこともあるのですが、その時遠慮せず徹底的にやりあえたおかげで、いまは落ち着いています。

そしていま、親の孫に対しての接しかたを見ていると、けっこう拡充学習的なことをわたしにもしてくれていたんだなとおもいます。

母は、いろいろとひらめくタイプで、お菓子作りにしても、こどもとの遊びにしても、いいことを思いついた時に「ねえねえ、こんなことやってみない? おもしろいとおもうけどなぁ」といってくる時には、魔法のように、その活動が魅力的に見えたものです。

今回の滞在でも、こわれた時計で遊ぶ、とか採れたてわかめやあさりをこどもに見せる、とかいろいろひらめいて提案してくれたのは母でした。

父は、エンジニア気質の人で、家電は壊れたら父がいつも修理していました。家電以外もなんでも修理して使うことになっていました。ものごとは見た目じゃない。ちょっとくらいカッコ悪くても使えればいいんだ、ということを身を持って示してくれていました。新しい家具を買いに行っても「こういうのは見た目だけよくても作りがちゃちいことがある」とあちこちコンコンと叩いて、店の人に「これは参りましたね」などといわれていました。

わたしが小さい時は理系に育って欲しかったらしく、電子ブロックなど与えてもらいました。わたしに数学の才能がないことが明らかになるとあからさまにがっかりしていたのが記憶に残っています。

ただなにがどう役に立ってるか説明が難しいのですが、身近で家電を修理したり、自分で工夫してあれこれ作ったり工夫したりしている様子をそばで見ていたのは思考方法を形作る上でとてもよかったとおもいます。論理的な考え方や問題解決の手法を学ぶ上でも役に立ったとおもいます。

よくなにか壊れた時に声に出して「えーとここはだいじょうぶだ、ということはここかここがおかしいはずだ」などと壊れた場所を特定して直していたのを覚えています。

少なくとも、なんでも買ってくればいい、というような消費が当然という感覚ではなく、なんでも工夫できる、修理できる、お金をやたらとかけなくてもなんとかできるという感覚は育ててもらったかなと考えています。

待つ

 

創造する、特に絵を描いたり、小説を書いたり、企画を立てたり、なにか新しいことを生み出そうとするとき、必ず「待つ」というフェーズにゆきあたります。

アイディアって出そうとおもえばどんどん出る、というものではなく、ある意味自分のコントロールできないものです。たくさん出る時もあるし、そう出ないこともある。

明日まで作品仕上げなくちゃいけないけど、うまいことアイディアが浮かばない…なんてことはよくあります。

だから創作活動していると「待つ」ことが上手になります。「待つ」といっても、ただなにもしないのではありません。人によっていろいろなテクニックがあるでしょうが、無駄なことをしてみたり、あせらず運を天に任せて寝てみたり、とりあえず手を動かしてみたり、不調の時に備えてストックしておく、などいろいろなやり方があるとおもいます。

どちらにしろ、自分にはどうしようもできない、ということを受け入れて、その時を待つしか仕方ない、ということが、経験を重ねると実感されてきます。

普段創作活動をしていない現代人にとってはこの「待つ」ということ、けっこうハードルが高いかな、とおもうことがあります。

子育てでよくここは待つといいんだな、あえて手を出さないといいんだろうな、という場面って結構あるのですが、なかなかわかっていてもできない、ということってあるとおもうのです。

ついつい、こどもがやっていることはやめさせて、親の望むようなことをさせたくなってしまうんですよね。

まず、親が手を出すのを少し我慢して、こどもがなにをするのか見てみよう、一体この子はなにをするのだろう?という気持ちになること。

予定を立てる時に自分がやらせたいことじゃなく、こどもがやりたいことをやらせること。

自分の子育てを振り返って、なぜこの2つができるようになったのかといえば、ただ単に、こどもが小さい頃しょっちゅう泣いたり怒ったりしていたので、それ以外にどうしようもなかったからです。

やはり、こどもが反抗したり、親を困らせる時というのは親の学びのチャンスですね。

現代人は、忙しく「なにかする」ことで不安を解消している側面があるので、お教室へ行かせること、人前でこどもがよいパフォーマンスを見せてくれることで不安を解消している場合は、やめた方がいいらしい、とおもってもなかなかやめるのは難しいのかもしれません。

あれこれしないでゆったりじっとしていられる、というのは忙しく日々を過ごす現代人にとってなかなかに上級者向けの技だと思います。

忍耐力、というと語弊があるのかもしれませんが、余計なことをしないでいられる力、それでも自分を信じて立っていられる力が必要ですね。人間力といったらいいでしょうか。

自分の中の不安とかネガティブな思いをまっすぐみつめて、受け止めて、不安から自動的にあれこれ行動するくせを卒業することも大事だと思います。

子育てって楽しいこともたくさんあるけど、厳しいといえば厳しい、難しいといえば難しいものですね。

だって、そもそも親自身が

「自分で興味を持ったことから熱中しはじめて、そこから困難な課題を見つけだし、自分で設定して乗り越えていく」という本当の成長に結びつく体験

を経験して、それを評価してもらえたり、認めてもらっているでしょうか。
少なくともそれが素晴らしい、人間にとってとても深くて大事な体験だとわかっているでしょうか。

それに自分自身の興味、心の奥底からわきあがってくるものに対して

それに気づいて、認めてあげて、十分繰り返せるようにサポートしてあげること

ができている大人がどのくらいいるだろうかとおもいます。

自分に対してできてないことを他人にしてあげるのはとても難しいですよね。


そのためには体当たりで子育てしながら体得していく、というのもいいですし、うまくいかない、なんだか行き詰まっているという場合は目先を変えて、自分がなにか創作活動をしてみるというのも効果的だとおもいます。第一楽しいですよ。

こどもは日々創造する生き物です。別に絵を描いたり工作したりしなくても、常に新しい自分を創造し、脱皮していく生き物といってもいいとおもいます。自分が創造し、きらきらした毎日を生きることで、その成長をサポートしやすくなるとしたらこんなにいいことはないとおもいます。

 

*文中の引用は虹色教室通信より

 

このシリーズ記事はこれでおしまいです。

おそうじロボ/こわれた時計/わかめとあさり/フェルト手芸

実家に帰省していました。

その間にあれこれ拡充学習的な活動をしましたのでざっとまとめておきますね。

 

その1 おそうじロボを修理して動かす

 

ちゃお4月号付録のおそうじロボのことを虹色教室で教えてもらって先日購入してみました。

 

しかし、箱を開けて組み立てているときにぶちっと一箇所配線を切ってしまい、それが原因かどうか、つなげてもまったく動かない事態に。

 

実家には機械いじりの好きな父がいるので、テスターもはんだごてもあります。これを機会に直してみようと計画していました。

 

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まずはテスターってどんなものかいじってみます。赤のこてと黒のこてをあてて、針がぴっと動くときと動かないときがある、というのをやってみています。

 

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プラスチックのお人形にあてるとどうなる? 電気を通さないので針が動きません。

 

実際に回路のいろんな部分にあてて、どの部分が電気が通じてないか確認。通じてないところの配線を直します。ビニールを切って銅線を出してつなぎなおしたりしている間に、余計なところを切ってしまったりして、とうとうはんだごての出番。

 

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危ないから最初は大人がやっていたのですが、やはりやってみたいというので上の子がチャレンジ。ケガもなくうまくできました。

 

ロボを動かしてみた結果大成功! ちゃんと動きました! 障害物や机から落ちそうになるとセンサーが動いて回転して向きを変え、違う方向に走るはずですが、回転すると回転しっぱなしになるというのは予想外でしたが、それも含めていろいろ発見がありました。

 

その2 こわれた時計で遊ぶ

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実家の時計が壊れたらしいのですが、こどもたちが遊ぶだろうととっておいてくれました。下の子はまだ時計が読めないので指でくるくるまわして何時?という遊びをしています。中を分解したらおもしろいかとおもったのですが、開けてもいまどきの時計はつまらないよ、と父。

 

その3 わかめやあさりを観察

 

こどもが喜ぶだろうと、朝車を飛ばして採れたてのわかめとあさりを買ってきてくれた両親。わかめってどんな風に生えてるか知ってる? とお話しながらわかめ登場。

 

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 一番下はフリルのようになっていて、それから茎の部分(いわゆる茎わかめ)、先っぽはやわらかくて、よくお味噌汁に入っている、わたしたちの知っているわかめ。

 

大人もびっくりのわかめの全体像でした。

 

また、お湯に入れると一瞬で緑色に変わるところも見て、みんなですごーいといいました。

 

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 あさりは塩水につけてしばらく暗くしておいてから出してみると管をにょろにょろ出してぴゅーぴゅーとお水を吐き出してくれました。

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最初こわがっていたこどもたちですが、棒でつっついてみたり虫眼鏡で見てみたりしているうちにおもしろくなってしばらく観察しました。

 

その4 フェルトでマスコット作り

 

実家に行くとなにかしら手仕事にチャレンジすることになりますが、今回はフェルトでなにか作ってみようということに。

 

下の子はピンクのうさぎが作りたい、といいました。

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こんなかたちに二枚切って、まわりを縫って、綿を入れました。目と口はボタン。ほっぺとリボンはフェルトを切ってボンドで貼りました。金具でかばんにつけたらマスコットに!

 

上の子は何作りたい?と聞くとまず「設計図を描く!」といってしばらくあれこれ描いていました。悩んだ末リスに決定。

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綿は入れないでぺたんこにしました。耳は別のパーツにしてボンドで貼りました。黒のステッチでしましまを表現。

 

どちらも大人が手伝いましたが、こどもたちも縫いました。やっぱり自分で作ると愛着が違うようです。

 

その5 ボールキャリー付きリュックのDIY

 

これはわたしと母であれこれいって作ったのですが、サッカーの練習にいくときに、リュックにボールキャリーがついているものを見かけて、あれは便利だね!ということになり、100均で材料を買ってきてDIYしました。

リュックに巾着型の袋をくっつけただけです。袋にゴムのループをつけて、リュックにボタンをつけて着脱可能に。

 

リュックに水筒などを入れて、袋の部分にボールを入れて背負ってサッカーの練習にGO!

 

と、ここ数日の活動の報告でした。

 

 

 

時間を忘れるひととき

 

現代人は分刻みのスケジュールをこなすような生活に慣れていますが、こどもはそういう生き方をするようにはできていません。

 

「自分で興味を持ったことから熱中しはじめて、そこから困難な課題を見つけだし、自分で設定して乗り越えていく」という本当の成長に結びつく体験

(虹色教室の記事より引用)

 

を子どもにしてもらうためには、たくさんたくさん、大人にとっては無駄とおもえる時間が必要なのです。

もちろん24時間ぼーっとするなんて贅沢は子育て中の親にとって無理なことですが、ほんのひととき、時間を忘れてこどもと熱中する時間を持てたら素敵です。こどもがありんこを見つめているほんの4、5分を一緒に過ごすとか、そういうことで充分なこともあります。お天気のいい日に、公園にレジャーシートを持って行ってみんなで寝転がってもいいですね。

現代の次から次へと予定をこなす生活に慣れてしまっていると、最初とまどいがあるかもしれませんが、こどもに振り回されながら、たくさん失敗しながら、少しずつゆったりとした時間の使い方を教えてもらえたらよいとおもいます。

雨上がりの水滴の美しさや、かたつむりの造型のすばらしさに感動してしばらく立ち尽くす、というような時間を通じて、子育てが親にとっても豊かな時間になって、そこから大人たちに人間的な豊かな時間の過ごし方が広がっていったら素敵だとおもいます。また、そのために少し予定を見直して、もう少し生活をシンプルにできないか考えてみるのもよいとおもいます。

そうした豊かな時間を親子ですごしていくと、自然にこども主導でこどもの世界が広がって行きます。親は、こどもが見せてくれる世界を「次はなんだろう?」と楽しめばいいのです。

その結果、こどもも親に邪魔されずに自分の世界を広げて成長してくことができるのではないかとおもいます。

日々創造する

 

クリエイティブに生きるってどんな生き方のことでしょう。それは、決めつけず、わからない状態で瞬間瞬間創造しながら生きること。時に、自分の中から創造力が湧き上がるのを待つことです。

こどもは歌ったり、踊ったり、絵を描いたり、おはなしを作ったり、演じたり、自由にやるものですが、大人になるとそういうのは一部の「芸術家」の仕事、と決めつけて、自分の中の創造性を殺して生きている人も多いのではないでしょうか。

わたしが思うに、誰にでも生きて行く上で創造する力は必要です。生きる喜びと、瞬間瞬間で創造する力は密接に結びついているものだとおもうのです。なにもたくさんの人に賞賛されるレベルの作品を作らなくても、日々の暮らしを創造的に生きることはできます。100均で買った材料でDIYでもいいし、部屋の模様替えでもいいし、ちょっとした手芸でもいい。こどもがいれば一緒になにか作ったり描いたりでもいいですね。

毎日仕事や家事は一生懸命やっているけれど、自分を大切にするやり方がわからない、どうやって楽しんだらいいかわからない、という人。もしかしたら日々の中で創造することが足りなくなっているかもしれません。

わりと日本人って全体的にきちっとすることが求められるので、その反面、楽しむこと、おおらかにまあいいやとおもうことが足りなくなりがちだとおもいます。

こどもや動物が、水たまりで飛び跳ねたりする時のようなきらきらする喜び、日々感じていますか?

究極の話し、なにもアウトプットがなくたって、目に見える作品ができあがらなくたって、一番の芸術作品は自分の人生。醜い部分も、傷跡も含めて美しいと思えるような素敵な作品にしたいですよね。それには、きらきらした毎日を積み重ねるのみだとおもいます。

創造力と子育てについていえば、子育てって、なんのレールもマニュアルもなく、一瞬一瞬現れる予想外の出来事に対して、とりあえず「じゃあこうしよう」となにかしらの答えを創造することが必要とされる気がするのです。

過去とも、親の期待という意味での未来とも切り離された、本当に自由なクリエイティブな答えは「わからない」場所からしか生まれません。

立派な親でいなければというプレッシャーだとか、失敗したらどうしようという不安だとかでいっぱいになっていると、気楽に自由に発想したり創造することはどんどん難しくなってしまいます。

といって、わかっていたいし、その方が楽だからと親の用意したストーリーを押し付けているだけでは「子どもにとって意味のある」行動、「学びの物語」も見えてこない。

決めつけや自分の書いた台本を持たずに、未知のものごとに対応していくには、瞬間瞬間創造していくことです。そして、それはやってみればとっても楽しいことです。正解もなければ失敗もなしの世界ですから。

自分の中の創造性を回復したいけどやりかたがわからない、という方にはおすすめの本があります。

ジュリア・キャメロンの「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」サンマーク出版です。

 

 

ずっとやりたかったことを、やりなさい。

ずっとやりたかったことを、やりなさい。

 

 

うまくできないから、下手だから、できないではなくて、それが喜びだから表現しよう、そんなふうに思えるようになるために、具体的にこんなことをしたらどうかと提案してくれる本です。

また、自分の中の創造性を制限するいろいろな思い込みをゆるめて行く方法も示されています。かっこわるい、どうせ無理、才能ないから、などなど。

うっかり自分の中に埋もれていたもう1人の芸術家に出会えるかもしれませんよ。

開かれた心

 

開かれた心で生きる、やわらかい心で生きることについて書いてみます。

どんなことをいいたいかというと

決めつけない。いろいろな可能性に心を開く。
自分の可能性も、こどもや他の大人の可能性も制限しない。
「できない」「無理」という決めつけをしない。
苦手なことも楽しんでみる。

という姿勢のことです。

虹色教室の記事でも奈緒美先生がよくおっしゃっていることですが、子育てとは、親が決めたストーリーにそって子どもを駒のように動かして成果を出すゲーム、ではないですね。

こども自身がテーマを持って生まれてきて、その時々に探求したいテーマがあるのですから、

 

「自分で興味を持ったことから熱中しはじめて、そこから困難な課題を見つけだし、自分で設定して乗り越えていく」という本当の成長に結びつく体験

 

ができる環境を作ることが大切です。

そのためには、自分の中の思い込み、決めつけをできるだけゆるめて、いろいろな可能性に心を開いていないと、こどものいまやりたいことは見えてこないし、それを思う存分やらせてあげることも難しくなってしまいます。

もしこどもが興味を持ったものが、自分の苦手なものだったらどうしましょう。

無理しても仕方ありませんが、少しずつ「だめ」「嫌い」「無理」といった思い込みを緩めることができたらいいですね。こどもにとって、親が興味を持って楽しくやっていることはやってみようとするでしょうから。

例えば、こどもが青虫を飼いたいという。自分がものすごく苦手だったとしても、ぎゃーぎゃーと嫌い嫌い、気持ち悪いと連呼するのは控える、とか。ママはノータッチにするけどベランダでパパと飼ってもいいことにするとか。

逆にこどもにやってもらいたいことがある場合もあります。

こどもに英語を習って欲しい。でも自分はまったくできない。この場合も「無理」と決めつけず、英語が苦手な自分を受け入れて一緒に英語のCDをかけて歌ったりこども用の簡単なテキストを一緒にやることもできますよね。まだ簡単なレベルのうちに一緒に勉強するチャンス、ととらえることもできます。

自分が苦手だからといって自分はなにもせずお手軽に英語教室に外注するよりずっと楽しいし、こどもも自発的に興味を持つ可能性が高いのではないでしょうか。

開かれた心で、決めつけをしない姿勢が身に付いてくると、こどもに自分の望むストーリーを押し付けることも少なくなり、こどもが本当にやりたいことがなにか、感知することが簡単になります。

子育てに限っていうならば、自分がこどもに対してなにを望んでいるか、棚卸ししてみるといいとおもいます。望むのは人間としてごく当たり前のことです。でもなにを望んでいるか意識していないと、うっかり非現実的な理想を押し付けてしまっていることもあります。口先ではこどものためといいながら、実は自分の理想を押し付けてしまうこともあります。自分を批判することなく、自分が子育てになにを望むのか、ゴールとしてなにを希望しているのか、はっきりさせるのはとてもよいことだとおもいます。

自分の中に、本当はやってみたかったんだこれ…というものがでてきたらどんなにくだらないとおもっても積極的に生活に取り入れてみてください。親が毎日を自由に生き生きと生きることがこどもにとっても一番よいのです。

こどもの可能性に心を開く、ということは自分の可能性にも心を開き、わくわくしながらそれを育てる、ということでもあるのです。

ゼロにする

 

現代人にとって、不確実な状態でなにかすること、はじめて出会う(つまり未知の)ものごとに対応することってとても難しいことではないかとおもいます。

なぜかといって、単にそういうことをしなくても毎日暮らしていける豊かさのためです。

少し前の時代の人は不便だった分、自分でなにもかも作って生活していましたから、生きることと創造は一体で、切り離されることはありませんでした。不便だから待つことも、結果がどうなるかわからないこともごくあたりまえでした。

でも現代では、物質的に豊かになり、お店にさまざまなものが並び、お金を出して買う、という消費が中心の生活。お店で売っているものが基準になってくると、自分で作ったものは完成度が低く感じたりして、ますます手作りしたり工夫したりすることから遠ざかる、というサイクルが発生しています。

そして結果がわからないままやってみるということにますます耐えられない現代人が増えているように思います。

でも子育てをしていると、わからないままに決断を迫られることの連続です。悩み始めて迷路にはまってしまう親の方もたくさんいるとおもいます。

実はそんな時にも、普段からクリエイティブに生き、日々創造していると、すんなり解決策が閃きやすいです。(もちろん子育て以外の人生のクライシスにも有効!)

もちろんなにを決断しても、それが正解だという保証はありませんが、少なくとも、苦しい、しかもうまくいかないやり方をしなくてすみます。気楽に創造することの反対の「苦しくて辛くて行き詰まるやり方」の例をあげてみます。

過去にとらわれる

未来の予測不安にがんじ絡めになる

深刻になる

根性でなんとかしようとがんばる

いろんなことを無理やり力でコントロールしようとする

失敗を恐れる

心の中で自分が必死に求めていることに目をつぶり、気がつかないふりをする(お母さんに認められたい、お父さんに認められたいなど)

がんばれば、努力すればうまくいくと自分にいいきかせる

悲観的なストーリーを自分に言い聞かせ、本当はうまくいかないと思いながら、いろいろなことをする。


などなど。

そうじゃなく、軽やかに、いろいろなストーリーから自由になって、その瞬間に創造することができたら楽かなと思うのです。

でも言うは易し、ですので少しずつ説明していきますね。

まず、創造するためには自分をゼロに戻さないといけません。白紙にする、というのでしょうか。絵を描く前にまっしろな紙を用意するのと同じです。


自分の中に決めつけがあったり、こうだったらこうなってこうなる、というストーリーを、隠し持っていたりしたらうまくいきません。

いってみれば、赤ちゃんのようになんの先入観もない状態になって、次の瞬間に何が起こるかわからない、と思いながら生きるということです。

普通の人はそう考えてみるだけで、不安になったり恐れを感じると思います。

そうしたら、どうしてそう思うの?と自分に問いかけてみてください。

過去の経験とか傷ついたこととか、いろいろでてくると思います。

責めたり批判したりしないで、ふんふん、と聞いてみてください。ノートに書き出してもいいです。

棚卸しのような感じです。

自分の中にこういう考えがあるのだな、とわかっていれば、無意識に振り回されることは減ってきます。

自分の中の不安や恐れを把握すればするほどそこから自由になってきます。

決めつけるのは楽なやり方かもしれません。しかしそこから自由になり、わからないままいられるようになると、どんどん自由に創造できるようになります。軽やかになります。

子どもは、遊具などでバランスをとって遊ぶのが好きですが、転んでも転んでも、楽しそうにきゃっきゃっと笑いながらもう一回!もう一回!とチャレンジしたりしますね。

大人だってそうできるんです。

そんなふうに失敗を恐れず自由に楽しく生きていいのです。

手を動かしてみたいな、と思った方におすすめなのが森博嗣さんの「創るセンス、工作の思考」集英社 という本です。モノ作りのおもしろさ、大切さが書いてあって、さっそくなにか作りたくなります。

 

 

創るセンス 工作の思考 (集英社新書)

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