こどもに有害な接し方
誰しも多少の不安は感じて生きているわけですが、家族に機能不全をもたらすほどの、有害な不安発作がどのようにして起こるか、ということは自分の中で考え続けているテーマのひとつです。
最近田房永子さんという人のマンガを読んだのですが、「まき散らさない」ということばが響きました。作者がどうやって有害な親子関係から抜け出して人間性を取り戻していったかという話です。けっこう強烈なので、トラウマのある人は深呼吸してから読んだ方がいいかもしれません。
ひどい不安発作になってしまうというのは、自分で自分のことがうまく抱えられないせいなのかもしれない、とおもいました。自分が時々不安にもなる、ちっぽけな人間にすぎない、ということがうまく受け入れられないのではないでしょうか。
不安を人に押し付けたり、予測不可能なできごとのせいにしたり。
そういうバランスを欠いたことをするから、あちこちおかしくなる、ということは他人からみればわかるのですが、渦中にいるとなかなか苦しいものかもしれません。
また、ひきこもりについてのこちらの本の紹介記事を読んでいても、ああ、とおもうことがありました。
子どもがひきこもりになりかけたら マンガでわかる 今からでも遅くない 親としてできること (メディアファクトリーのコミックエッセイ)
- 作者: 上大岡トメ
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2015/10/16
- メディア: 単行本
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ひきこもりについてはいろいろなケースがあるので簡単にひとまとめにするわけにはいかないとおもいますが、ひきこもりの親の相談にのっている「結」という会の方がアドバイスしているので重みがあります。
また、ひきこもりに限らずこどもを追い詰めたり、こどもに悪影響を与えるNGな接し方、というのがわかりやすくかかれていてそれに興味をひかれました。
「ひきこもり」になる子どもの親には共通点がある | 「子どもがひきこもりになりかけたら」座談会 | 日経DUAL
(記事はこちらなのですが、会員登録しないと読めないかもしれません。)
「ひきこもり」になる子どもの親には共通点がある羽生 どんな親がひきこもりの子どもをつくってしまうのか、改めて教えてください。
工藤「こんなタイプがなりやすい」とは断定できないと思っているんです。「こういうタイプの親でなければ、子どもは絶対にひきこもりになってしまう」といった問題ではないからです。ただ、少なくとも、傾向はあります。
蟇田 ひきこもりって、親が働いているか否かは関係ありません。でも、ひきこもりになる親の“子どもに対する反応”に共通する傾向を見つけることはできます。子どもの話を最後まで聞くことができなかったり、分からないことを尋ねなかったり、子どもも同じ思いだろうと思い込んで確認しなかったり、待つことができなかったり……。
トメ ズキズキズキズキ(笑)。
羽生 本では、8つのNGパターンが紹介されています。こういうことをしていたら改めましょう、ということなのですが、ちょっとリストアップしてみますね。
こういうのは虐待まではいかないけど、有害な接し方だと思うのですが、つきつめると、親の不安を自分でしっかり引き受けることをせずに、こどもに投影して、こどもになんとかしてもらおうとしている、といえるんじゃないかとおもいました。
そこにはありのままのこどもの姿はまったく見えていなくて、自分の不安や欲望をなんとかしてくれる幻影のようなものがあるだけなのです。
こういう対応をしてしまう親を責めたいのではなく、上にも書いているように苦しいだろうなあ、とおもいます。さらに上の世代からの負の連鎖もあるかもしれません。こどもはもっと苦しいかもしれません。
そこを親も子ももっと楽に、楽しく生きるためには、まず親が自分のことをありのままみつめることが大切だとおもいました。
ノートに書き出すでもいいし、カウンセリングを利用してもいいし。
また、記事では時々この本を読んで「ああ、自分はいまこのNGパターンやっているな」と意識するだけでもいいといっていて、確かにそうだなとおもいました。意識することで、自分の問題としてとらえることができて、徐々に他人に投影しなくなるとおもいます。
この「不安を自分で持っていられない」状態では、本当に人の話を聞いたりすることは難しいとおもうので、以前紹介した「共有型しつけ」や「双方向のコミュニケーション」がいいとはおもうけどどうしてもうまくできない、という人がいたら、まず自分の内面と向き合うことから始めていくといいのかもしれません。
思いがけない災難にあったら
災難に襲われた時、まず自分の中は恐れ、不安、パニックといった感情でいっぱいになります。
自分は機能不全家族で育ったのですが、親は定期的に不安発作に襲われていて、その様子をつぶさに観察する機会がありました。
それは不安発作としか呼びようがないもので、家族から何時間か連絡がない、というささいなできごとが「交通事故にあっていたらどうしよう」というような不安を呼び、その不安が不安によりどんどん増殖し、しまいには理性で考えられないような大きな災難で頭がいっぱいになって、他のことは考えられなくなるのです。
そうした当事者を間近で見ていると、かえって冷静になるもので、感情に振り回されずに状況を把握できるので、いまなにができるかということも見えてきます。
人生で思い通りいかないことも、時折起こるものですが、わたしはそういう時にこの体験を生かしています。
自分の身に災難がふりかかった時、もちろん不安になります。パニックにもなります。最悪のことを想像しすぎて、いま起こってないことまで心配になったり、思考のネガティブなスパイラルにはまることもあります。
でもノートにいま自分はこう感じている、こういうことがあって、いま心細い、など書き出していると、感情を吐き出すことで自分も落ち着いてきて、だんだんそれを観察するモードになってきます。
不安を増幅するのは簡単で、不安を感じまい、と抑圧したり見ないふりで無視を決め込めばどんどん大きくなるのです。
「この状況で不安を感じるのは当然」などその時感じている感情をそのまま認めて吐き出すと落ち着いてきます。不安なら不安という感情を否定することなくそのままみつめることが大事です。それは科学的な観察とも似ています。
ひととおり吐き出して落ち着いてくると、自分のモードが変わっていることに気がつきます。「いろいろなことに振り回される無力な小さい自分」からもっと大きな自分、全体を俯瞰している自分に。
「チャンスを広げる思考トレーニング」という本ではそれを、「自分をゲーム盤上のコマととらえることから、自分をゲーム盤自体ととらえる変換」と表現しています。
もし、いま目の前にある困った状況に対して自分がなにか手を打てるとしたら、このモードにいないと無理です。パニックになると全体を冷静にとらえることができません。
自分にできることは何か考え、行動にうつすこともできます。落ち着いて家族をサポートすることもできます。パニックで逆上して家族にやつあたりして、邪魔をすることもなければ、不安に駆られて見当違いのことをしなくても済みます。自分の考える悪循環の思考の渦に他人を巻き込むこともありません。
あとは平常心で淡々と自分にできることをひとつひとつやっていくのみです。
「チャンスを広げる思考トレーニング」の新版です。
本とのおつきあいーわたしの場合
本は好きです。読むのも早いです。小さいころからのおつきあいです。本がない生活はあまり考えられないですね。唯一読書を中断したのはこどもたちが新生児や乳児だったころじゃないかとおもいます。
ただ、問題は活字中毒気味なこと。小さい頃親に「あなたはチラシの裏まで読むのね」とあきれていわれたことを覚えています。
じっくり読みたいものは別として、内容をささっとチェックしたいものは速読です。速読は習ったことないのですが、セミナーを受講した人に内容を聞いてみたら、自分でやっていることと同じで感心したことがあります。
で、このトピックがおもしろそう!調べたい!と思うとネットで本のタイトルをチェックします。次に図書館で予約します。予約数の上限まで予約することもしばしば。読みたい本が手元に来たらざくざく中身をチェック。おもしろそうとおもったものはじっくり読みに移行して堪能します。そして本当にいいなあとか何度も読み返したいと思ったものは後で購入します。または、図書館で取り寄せできないものをネットなどで購入することもあります。
なぜこのスタイルかというと、もうおわかりになるかもしれませんが、興味を持った本を全部購入していると、大変なことになるからです。金銭的にもスペース的にも...。なので基本的に図書館が自分の本棚と思うようにしています。
なので、大型本屋さんにいって本を眺めるのは本当は大好きです。大好きなのですが、行くといろいろ欲しくなって買ってしまうので、たまの贅沢ということにしています。
これでも家の本は時々整理して古本として売ったりして処分しているのですが、こども用の本もどんどん増えていくので、気をつけないとですね。児童文学がまた、すばらしいものがたくさんあるし、自分が読んでおもしろかったものをこどもにおすすめしたくなるので危険です。
いまはこどもと図書館にいっておもしろそうな絵本や本を借りてくるのが楽しいですが、全員分の本を合わせるとすごく重くなって大変なことになっています。
ここからは、ゆっくり読む派の夫にどうやって速く読むのかコツをまとめて欲しいと頼まれたので、説明してみます。
別に速いのがいいとか遅いのがいいとかはないと思うし、ゆっくりじっくり読んで深く理解するのもいいなとおもうのですが、これはくせとか好みの問題なのでしょうね。
わたしもじっくり読みたい時は自然とスピードを落として読んでいます。
ただ、わたしの読書スタイルとして、おもしろそうな本があると「どんなことがかいてあるのか気になる!」「早く読みたい!」「中身が知りたい!」となることが多いので、基本的に図書館でたくさん借りてきてどんどん読むスタイルなのです。
新しい本を読んで、「え?こういうことがあるの?」と発見があっていままでの価値観がひっくりかえって上書きされるような感覚、感動が大好きなのだとおもいます。
小さい頃から自己流でしているので、うまく説明できるかわかりませんがやってみます。
まず、新しい本がきたら表紙のデザインやタイトルから中身をイメージします。
それからまず全体をパラパラめくってところところどんなことがかいてあるか、文体、などチェックします。
読書中は常にこの本の作者がいいたいことの本質はなにか?という問いが頭の中に浮かんでいます。作者はどんな人か?その人の大事にしている価値観はなにか?ということも気にしています。
全体をチェックする時も、このへんにキーとなることがかいてありそう、このへんは読まなくてもいいかも、というところを気にしながらチェックします。
キーとなるメッセージは最初や最後にまとめてあることもあります。
次に目次をチェックして、章立てや構成をチェックします。
それから気になるところから読み始めます。気になるところから読むので、ここだけ読めばいいや、で終了することもあれば、おもしろくてすみからすみまでよんで、もう一度頭から読む、ということもあります。
アカデミックな内容のものはじっくり読まないとわからないので頭からゆっくりめに読むこともあります。
どこを読むかチェックする場合は「周辺視野」というものを使った見方をしているとおもいます。どこか一箇所に焦点をあてて一文字一文字読むのではなく、全体をぼんやり見てどこが大事か探します。
おもしろい小説などは、じっくり味わいたいのであたまから順番に。そうじゃないともったいないですから。
というのが、わたしの本の読み方ですね。
やっぱりあまりうまく文章化できませんでした。直観タイプの好奇心旺盛さというモチベーションが、速く本を読みたいという元になっています。
ざっと読みたい時は速く、じっくり読みたい時は時間をかけて、とコントロールできるのが便利といえば便利なのかなとおもいます。
ただ、失読症の人の情報のとりいれ方などを本で見る限り、どう読むかということはその人の視覚情報の取り入れ方や脳の使い方に直結していて、それぞれ固有のものだとおもうので、速読のノウハウを手に入れたからといってその通りにできるかというと、どうなんだろうとおもうことはあります。
ゆっくり読む人はじっくり思考しながら読んだり、読む時にわたしとは違うあたまの働かせ方をしていて、そういう理解とわたしのざっと読みの理解はきっと全然違うものだとおもうのです。
速読のやり方を聞いてこれ自分でやってるな、とおもったことが具体的になんだったか、いま思い出せません。周辺視野の使い方だったかな。目の動かし方だったかな。あと、受験勉強で長文読解などで、ポイントの単語や文章をぱっと探す、みたいなことは習ったことあるので、それはまあノウハウといえばノウハウなんでしょうか。
「ちびまる子ちゃんのことわざ教室」
先日テレビでちびまる子ちゃんやってたのをなんとなく見ていたら、まる子ちゃんがことわざ覚えるというお話しで「そうか!」と思い、こんな本を買ってみたのでした。
ちびまる子ちゃんの慣用句教室―慣用句新聞入り (満点ゲットシリーズ)
- 作者: 川嶋優
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2002/10/01
- メディア: 単行本
- 購入: 9人 クリック: 73回
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こどもの好きなキャラクターがでてきて、マンガ仕立てでことわざや慣用句が頭に入ります。低学年にぴったり。
おもいがけず、病床の退屈しのぎに役立っている3冊です。
百人一首は、わたしが小さい頃なんとなく覚えていて、好きなのでこんなのも入れてみたのですが、歌の背景など細かく説明されていたり、和泉式部など有名な歌人の人生も少女漫画風に挟み込まれていたりでなかなか読み応えあります。
こどもは意味わからないままに声に出して読んだりしていて、それもいいなとおもいました。
思いがけないおきゃくさま
なんだかいろいろなことが起こり、なかなかブログの記事が書けない日が続いています。
いま我が家にはインフルエンザさんがいらっしゃっていて、その対応が目の前の課題です。
上の子がA型と診断され、本人は薬を飲んでいるので回復傾向ですが...なんとか他の家族にうつさないようにするにはどうしたらいいか悩みます。
とりあえず部屋着にしているジャージの腰のところに、マイタオルと携帯用の消毒アルコールジェルをつけてやり、マスクをさせています。
これでなんとかなることを祈って!
「時計つくりのジョニー」
- 作者: エドワードアーディゾーニ,Edward Ardizzone,あべきみこ
- 出版社/メーカー: こぐま社
- 発売日: 1998/07/01
- メディア: 単行本
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ジョニーはものづくりが大好きな男の子。お父さんやお母さんには「またばかなことして」「うるさい」といわれているけど、へこたれません。「時計の作り方」というお気に入りの本を何百回めかに眺めていてふとひらめきます「ぼくも大時計を作ろう!」いつものように両親にはできっこないといわれ、学校の先生にも「あなたのようなおちびさんには無理」とばかにされ、そのせいで学校の友達からもからかわれ...。
でもスザンナという女の子だけは、ジョニーはものづくりが上手、手先が器用、と認め、応援してくれます。
部品が足りない、どこにも売ってない、というピンチの時に鍜治屋のジョーさんに相談すると、ジョーさんは親切に歯車やおもりを譲ってくれ、ない部品は作ってくれます。
とうとう振り子で動く大時計を完成させるジョニー。お父さんやお母さんもびっくりしながら認めてくれ、お披露目のお茶会を開いてくれました。
ジョーさんはジョニー、スザンナと3人で時計作りの会社をやろうといってくれます。
ざっとこんなあらすじのお話しです。
両親のジョニーへの無理解ぶりはあきれるほどですが、こどもの好きなこと、興味のあることがまったくの無駄、ゴミとしか思えず、応援できないという人はいまでもたくさんいることでしょう。
また、きらりと光るこどもの才能ややる気を無残に圧し潰す教師もたくさんいるでしょう。
だけど、好きなことにかける情熱はそうした障害を超え、ジョニーが自分を理解してくれる人たちと結びつくことを助けてくれます。
現代のたくさんのこどもたちがこのお話しを読んで、いくらわかってもらえなくても自分の好きなことや夢に打ち込んでいいんだ、と思ったり、他の人の夢も応援してあげよう、と思ったりしてくれるといいなとおもいます。
いつまでも古くならない名作です。