大人とこどもの適切な距離
サッカーコーチの池上正さんの本や記事を時々紹介しています。
大人が一から十まで指示したり、強制的に指導したりするやり方ではなく、こどもの自発的な意欲や自分で考える力を大切にしてサッカーを教えている方です。
また新しい記事を見つけたのでリンクはっておきます。新しい著書の紹介のようで、「大人は少しこどもから離れた方がいいのではないか」ということをおっしゃってます。
記事の内容は、すごくわかるし、もっとも!と思う一方で、現代の親のあり方を考えてしまいました。
池上さんのおっしゃりたいのは、大人が一から十まで事細かにあれをしろ、これをしろ、と指示する状況の中で、こどもが自分で判断したり考えたりする力がまったく育たなくなる、ということを危惧して、適切な距離をとってこどもを見ていこう、ということではないかとおもいます。
「子どもは本当にいつ伸びるか分からない。自分で楽しい、やりたい、と思うと伸び始めるんですよ」
こどものいまの状況を「できた、できない」と成果のみで判断することは意味がなく、こどもが自発的に「やりたいきもち」を発動する時期を待ってあげれば、急にスイッチが入って伸びることもある、これも同感です。
もちろん適切な距離をとるということは放っておくこととは違います。
親はどうすればいいか、というインタビュアーに対して池上さんは「聞く力が大事」という話をしています。
ただ表面的に質問するだけなら誰でもできるけど、聞いているように見えて、答えるべき答えが決まっている、誘導尋問になっている親が多いと。
このへんが、わたしがなんとなく感じていることとつながったので非常に共感しました。
こどもと本当に会話している親が少ない、という実感があります。
一応ことばは交わしているのだけれど、こどもを自分の成果物のように感じてしまって、「できる、できない」でしか見られない親が多いのだとおもいます。サッカーができる、できないもそうだし勉強その他生活すべてが成績表に変換されて、いまどのくらいの成績なのかだけがものすごく気になる。24時間こどもを見張って、事細かに指示してコントロールして「いい成果物を仕上げなきゃ」というマインドセットになると、やはりこどもを追い込んでしまいますね。
この子はなにに興味を持っているのかな? 何している時が楽しいのかな? そんなふうに、相手(こども)を人間として捉えたり、会話したり、逆にこどもの話に耳を傾けることが難しい。
だから、池上さんが「こどもの話を聞いてほしい」と口をすっぱくしていわざるをえない事態になっている。
すべてを受け入れるように聞いてあげられたら、一番いいんですけどね。
結局このことばに尽きますね。
自分にだって、いい時の自分も悪い時の自分もある、ものごとって上手くいく時もいかないときもある、そういう認識の持てる、精神の成熟した大人であれば、こどもに対しても「いい時も悪い時もあるよね。でも全部あなただし、その全体がかけがえのない素晴らしい個性なんだよ」と受け止められるはずだとおもうのです。
「上手くいく時もあるし、いかないこともあるけど、あなたが大好きで、いつも興味を持って見ているよ」という暖かい視線があってこそ、適切な距離をとり、年齢に応じていろいろなことを任せていけるのではないか、とおもいました。
まず、こどもをまるごとの存在としてみる、聞くことも含めて「この子はどんな存在なのかな?」とアンテナを立てる、そういうことがスタートなのではないかとおもいます。
もしかしたら、親の世代が「成果、成果」と追い立てられて育って、十分に自分をまるごと肯定できていない人が多いのかもしれませんね。自分が不安で仕方なくて、こどもも含めて、他者とのまるごとのおつきあい、というものが難しくなっているのでしょうか。
「大人がちゃんと大人として立つ」
ということばも記事の中にありました。
いろいろ考えさせられる記事でした。