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読書をしながら、子育てしながら、お仕事しながら、人間の内面についていろいろ考えたりする毎日

こどもをほめられない、愛情表現ができない

こどもはかわいいのにうまくその気持ちを表現できない、ほめることができない、ほめかたがわからない、自分自身親にほめてもらったことがない、という話を聞くことがあります。

 

もしそうだとしたらその人にとって子育てをするのがとても辛い状況ではないかとおもいます。

 

ほめる、ということの前にたぶん、ありのままのこどもに対して「それでいいんだよ」と思えることが必要でしょうし、その前にありのままの自分にたいして「それでいいんだよ」といえることが必要なのでしょう。

 

わたし自身、思春期や20代の頃は親やまわりの大人に対してたくさんいいたいことがありました。それはあなたたちの子育てのやり方がだめだったからわたしはいまこんなに辛いのだ、ということだったし、もっと上手に接してくれていれば、わたしはもっと幸せになっていた、ということだったとおもいます。

 

虐待が連鎖することはよく知られていますが、もっと微妙な愛情の欠如とか、愛情はあってもそれを表現できないために伝わらないことの悪影響とかそういうものはわりと身の回りにあるのではないでしょうか。

 

そうしたことが原因で心に空いた隙間が、自己肯定感の低さとなってあらわれる、そしてそうした人同士で力の強い方から弱い方へ暴力やハラスメント(程度はいろいろでしょう)が起こる。そういうことではないかなと考えました。

 

ひとりひとりが「自分ってこの世にひとりしかいない貴重な存在なんだ、だから自分も他の人も大切に扱われて当然」という意識でいれば、暴力を振るうことも、振るわれることを許すこともないはずなんですよね。

 

わたしの場合は、ある日自分が、親のことに限らず「そうせざるを得ない。それはわたしのせいじゃない。」と因果がぐるぐるまわる宇宙の中でぶつぶつ文句をいって不本意な人生を生きていると気づいて、それでいいのか、とふと思いました。

 

もしかして、自分がどう生きるかどうか、幸せに生きるかどうかは自分で選べるのではないか。暴力が連鎖し、強いものから弱いものへしわ寄せがいき続ける世界ではなく、幸せが連鎖し、愛が連鎖する世界にわたしは生きたい、と思い、とにかくそうしよう、やってみようと決意しました。

 

ただ思うだけの状態から、行動がついてくるまで試行錯誤はあったものの、幸せを掴むための選択を積み重ねて、いまの自分があります。

 

少なくとも食べるのに困ってないし、家族がいて、こどもに対して「そのままのあなたでいい、あなたはそのままで素晴らしいよ」と思えるし、自分に対してもパートナーに対しても「いろいろあるけどなかなか頑張っているね、よくやってるね」と思えるいまの状態は、10代、20代の自分からするともう理想の幸せな自分を生きてるといってもいいとおもうのです。

 

いま子育てしていて、精神的に辛いきもちがあり、愛情表現がうまくできないという方は、これはチャンスだとおもって、自分を癒すことをぜひやってみていただきたいです。辛い気持ちを癒してありのままの自分をいいと思えることができるようになれば、少しずつでもありのままのこどもの姿を許し、認め、応援できるようになります。愛情を表現できるようになります。

 

本当に辛い時はなにをやっても無駄に感じるかもしれないし、自分が変われるとはなかなか信じられないかもしれません。でも自分の経験からいうと変わることは可能です。そして自分が変わると家族やまわりの人との関係も変わってきます。

 

目の前のこどもはいまこの瞬間、無条件の愛を必要としています。

 

こどものために、とおもって勇気を出して一歩踏み出してみていただきたいです。