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読書をしながら、子育てしながら、人間の内面についていろいろ考えたりする毎日

うそをつかないと、損なの?

毎日やることがたくさんある日常を生きる現代人のわたしたち。

 

その中で、ちょっとズルしてみたり、うそついてみたり、ありますよね。おおきいことじゃなくて小さなことで。

 

もちろんわたしも経験あります。

 

でも、「うそをつかないで正直に行動するなんて損、ばかみたい」という考えが世の中の主流になってしまったら悲しいな、という気持ちがあります。

 

特に子育て中の親として、こどもに対しての影響に無頓着な人が多いのが気になります。

 

 そのことについて書いてみたいです。

 

ふとした時につきたくなる小さなうそ。

うそをついてズルをしたら、その時は得した気分になります。

 

でも本当に得をしているのでしょうか?

 

うそをつかないことは損していることなのでしょうか?そこにはなんの価値もないのでしょうか?

 

うそをついて、ばれなかったとしても、うそをついて自分がズルをしたことは自分が知っています。自分はごまかせません。自分はうそをつくような人間なんだ、という認識は自分を低める行為です。

 

その事実は無意識に蓄積されて自己肯定感を下げるのではないでしょうか。

 

 

また、うそには隠蔽行為がつきものです。うそがばれないように口裏合わせをしなくてはなりません。そのためにうそのストーリーを作り上げて、自分や家族に信じ込ませなくてはいけません。

 

こどもに口裏合わせをしてもらわなくてはならなくなります。こどもがなぜ?と聞いてきたらどう説明しましょうか?

 

うそをついた方が得だからね、正直に行動すると損をするよ、と教えるのでしょうか。小さいうそならついてもいいんだよ、と教えるのでしょうか。いかにもそれらしいでっちあげのストーリーを信じ込ませて丸め込めばいいと考えるのでしょうか。

 

なので、2つめの問題はこどもに与える影響です。

 

うそつきなこどもに育って欲しくない、とおもっていてもこうした隠蔽工作に加担させることで、実はこどものうそを親公認で推奨してしまっています。

 

3つめは生き方の問題なので、これは誰にでもお勧めできるわけではないかもしれませんが、わたしの思うことを書いてみます。

 

昔から「お天道様に恥ずかしいことはしない」「天に恥じないよう生きる」というような言い方がありますね。

 

これは、そもそも自分で高い倫理基準を持ち、誰かが見てる、見てないに関わらず気高い生き方をしよう、という意味だと考えています。

 

なぜそうした方がいいか、ということはなかなか表現が難しいですがやってみます。

 

わたしが思うのは、例えば人生の危機に直面した時に、人はいつもとは違うモードで生きざるをえなくなります。

 

普段の日常モードでは、小さな損、得、という価値観が正常に働くのですが、非日常モードでは、そうしたことがひっくりかえってしまうのです。魂の奥に入って深くいろいろなことを考え直さざるを得なくなる、そんな時に、ステータスとか、自分が他人から見られるイメージだとか、優越感、そういうものはなんの助けにもなりません。

 

その時に頼りになるのは素の自分のみ。

 

自分でできることをやって、あとは運を天に任せるしかない、そんな状況で自分を信じて崖から飛びおりるような勇気が必要とされます。

 

そう、そこで自分を信じられる根拠、それが「自分は普段から天に恥じないように生きている」と思えることだと思うのです。

 

自分はいざというとき天に助けてもらえる存在かどうか。

 

その基準はさまざま、その人なりのものでいいとおもいますが。とにかく自分なりによくやっている、と思えることがポイントだとおもいます。よくないとおもいながらやっていることは少ない方がいいですね。

 

宗教というものの取り扱いが難しい現代ですが、自分の中の「神」、自分の考える「天」という視点はどんな時代にもなくなることはありません。

 

時に小さな生存競争の中の損得、という価値観から離れて、そんな大きい視点、俯瞰した視点ももってみるといいのではないかとおもいます。