生命の輝き
最近おもいがけず、向き合うことになったのは、自分の欲望です。
といっても、日常のささやかな欲望のことですが。
他人の評価というものを意識せざるを得ない状況で、「よくおもわれたい」という気持ちが自分の中に大きくあることを改めて実感しています。
もちろん、人間として普通のことだと思っています。子育て中の数年間、こどものことだけ考えて、家と幼稚園と学校を行き来する毎日だったのであまり直面してこなかっただけです。
ただ、他人からの評価というのはいいにしても悪いにしても、わたしには全く決定権のないことで、「よくおもわれたい」という気持ちが強ければ強いほどそれに振り回されてしまいます。
そんなときに思うのは、なぜか思春期の無様で失敗ばかりだったときの自分のことなのです。
愛着障害があったのか、自己肯定感が非常に低く、精神状態も不安定で(思春期だからそんなものかもしれませんけど)、そこからなにをやっても失敗ばかりと感じていました。
無力で、なにも持ってなかった。
なにをするにも自信がなかった。
自分が自分を好きでないので、他人からの評価も低かった。
しょっちゅう泣いていた気がします。情けなくて。みじめで。
ただ、そんな中で泣きながらも、痛みを抱えながらも、なにか自分の内側で輝くものを感じて一歩ずつ前に進むことができたので、いまのわたしがいます。
現実の小さい自分が成功や失敗、他人からの評価に一喜一憂していることに全く関係なく、誰もの内側で控えめに、ときに大胆に輝いているなにか。
よいときも悪いときもそのなにかはまったく損なわれることがありません。
いつもその存在を感じていたいと思います。
「ポーラをさがして」
小学校中から上級向けとなっていた本です。
童話館から来るお知らせでこの本のことを知り、気になって読んでみました。
塾通いをしている2人の女の子が中心となって、特に主人公のショーコの日々の思いがきめ細かく描写されています。
思春期特有のざらっとした気持ち、どこかにある本当のことを求めて年上の人の話を聞いたり塾の先生と話したりしたくなる気持ち。
いままで慣れ親しんだ幼馴染のグループを一歩抜けて、また違ったタイプのカナと関係を深め、自分の世界を広げていく様子。
困った状況にいる友人を助ける、という行動は、実際にはことばでいうほど美しくも簡単でもないのですよね。時に友人への嫉妬の気持ちだとか、自己満足に陥りそうになる危うさを伴って、自分が果たしていいことをしているのか悪いことをしているのかも見失いそうになる、そういうものだとおもいます。
そうした心情の移り変わりがリアルにうつしだされていました。
小学生高学年くらいでこの本に出会えたら、本の登場人物と一緒になっていろんなことを感じたり考えたりして、共に成長できるのではないかと思います。
こどもが大きくなったら読めるように、買って家に置いておきたい本です。
春の嵐
きょうの関東地方は強い風が吹き荒れました。
なんだか我が家もこのところ、嵐が吹き荒れるようにいろいろなことがありました。時々こういうことがありますね。
いろいろなことが起こって、自分にわけのわからない感情が吹き荒れたり、自分の中をよーく見る機会に恵まれたり、良かれと思って動いたことが他の人を傷つけてしまったり。
でもいろいろなことをしっかりと見切って、また一段高いレベルで毎日に向き合っていけそうです。
そんな中無事に下の子の小学校の入学式をすませることができました。
上の子が生まれてから8年間ほど子育てにどっぷりの日々でしたが、わたしにとっても、うちの家族にとっても、また違う時代が始まるんだなとしみじみしています。
「大変だね」ということばのかけ方
自分が働くことになり、そのことを話すとみなさんいろいろ声をかけてくださるのですが、その中でも一番多いのが「大変だね」ということばです。
「大変だね」といってくれて「応援されてるんだな、うれしいな」という気持ちになる時と、「わーなんだか重いな」と感じる時があります。
なにが違うのか、考えてみました。
わたしは基本的に仕事は苦しく楽しいものだ、という認識があります。それは子育てというお給料が出ない仕事でも同じことですね。大変なこともあれば喜びもある。
その中で「苦」にものすごくフォーカスしながら「大変だね」といわれると、なんかその負のエネルギーに一緒に巻き込まれそうでなんだか気持ち悪いと感じます。
しかもその「苦」の内容がその人の経験範囲のことをそのままわたしにあてはめようとしていたり、時にはその人が仕事というものにもっている、恐れ、不安、などのネガティブ思考そのものだったりします。
たしかに労働条件が悪いとか人間関係がきついとかの厳しい状況があるのは経験上知っていますが、世の中全部そうではないでしょ?とおもうのですが。
いろいろな人がいろいろなことを考えて、その人の価値観を持っていて、それらがいっしょくたになっているのがこの世界なのだなとおもいます。
わたしはいまのところひさしぶりの仕事を楽しんでいます。
いい幼稚園ってどんな幼稚園?
下の子が無事に幼稚園を卒業しました。
いまはここの幼稚園に通わせてよかった、という思いです。
この幼稚園は、声高に〇〇式とかうたうところではなくて、一見ごく普通の幼稚園、という感じです。一学年2クラスで中規模、親の係は少なめで、その代わり保育は任せてくださいという方針。派手な謝恩会もありません。運動会や発表会も親を喜ばせるための派手な演出は控えめで、保育を重視するのであまり期待しないようにとあらかじめいわれています。
入園後に他のママと話していて「ここはほどほどでいいとおもった」といっていたので、確かに、と思ったのを覚えています。
実はこの園については入園前に否定的なコメントを聞いていたのであまり乗り気ではありませんでした。でもここに入れたいとおもったのは、説明会での園長のお話しがよかったからです。
こどもたちに、自分で考えて自分で動ける力をつけてあげたい。それこそが生きる力だから。手取り足取りやってあげる方が簡単だけど、わたしたちはそうしたくない。
という話でした。
そして、卒園式で園長の話を聞いたら、やはりそのことを話していました。
先日年長さんたちに「みんなのこと信じているよ。」「きっとできるとおもうから、自分たちでどうしたらいいか考えてやってみてくれる?」とお話ししたら、こちらの予想以上にしっかりと考えて行動してくれて、感動しました。みなさんのお子さんたちは、しっかりと生きる力を身につけていますよ、どうかみなさんも時々言葉にだして「信じているよ」と伝えてみてください。とお話しされていました。
3年前と全くブレていないんです。それって簡単なようでなかなかできないことだと思います。いろいろいわないけど信念を持って運営されている園なのだなとおもいました。
施設に通うこどもたちも受け入れていて、難しい側面を見せる子たちにも愛情を持って接してくれていると思います。
園長ともお話しする機会があったのですが、下の子が年少の時の発表会で、恥ずかしくなって固まって棒立ちになっていたこと、よくおぼえてらして、立派に成長しましたね、とお話ししてくれました。聞けば、年少の時の発表会では、出番待ちの下の子と一緒に舞台裏にいたのだそうです。
園長だけでなく担任以外のすべての先生が、よく声をかけたり遊んだり、よく見てくださっていました。
そういうことって、なにか華々しくアピールできることではないけれど、小さい子を預ける側にとってはとっても重要なことなんですよね。
自分の決断としても、他人の意見に流されずに自分の目と耳で得た情報をもとに判断してこの園に入れてよかったなと、いま思えます。
段ボールハウスとキティちゃんランドごっこ
最近土日はただゆるゆるしているうちの家族です。
きょうは、上の子は段ボールでせっせとお家を作っていました。
双眼鏡をはめこんでます。天井にはランタン型の懐中電灯をはめたようです。ドアを開けてみたら、クッションやフリースのブランケットで快適そうな仕様になってました。
下の子は「キティちゃんランドに行く人ー!」と募集して、切符を作って、ハンコを押したり、ご案内したりしていました。
キティちゃんの絵を描いた切符をたくさん作りました。