愛着障害ということば、思春期の親とのぶつかりあい
最近「愛着障害」という言葉を知りました。
親との関係によって、こどもに必要かつ適切な対応が得られなかったときに、こどもが精神の発育、特に人間関係の形成に大切な考え方や対応方法がうまく身につけられなくなる、ということだと理解しています。
これは、わたしと親の場合を考えると、確かにあてはまるなというところもあり、そういう考え方を使うときちんと問題が把握できたり、うまく対応できたりということはあると思います。
でも一方でそのことばに振り回されすぎないように、ということも自分に言い聞かせています。
以前自閉症スペクトラムやアスペルガーという概念を知ったときも、すごく自分にあてはまる点があるなと感じてすごく調べたり悩んだりしたことがありました。
(結局軽度のアスペルガー傾向はあるかもしれないけど、診断がつくほどじゃないんじゃないかというのが自分なりの結論なのですが。)
その経験を踏まえて考えると、自分にはたくさんの欠点もあるし、発達や特性の凸凹もあると思うし、まあ愛着障害的な要素もあるのかもしれないけど、そういうだめなところ、欠けたところをいくら分析して名前をつけても仕方がない部分もあって。
まるごとそういうものを抱えて、だめなところもたくさんあって、でも貢献できるところもたくさんある自分を受け入れて、そのまま生きていくしかない、と感じています。
親との関係でいえば、親にもっとこうしてほしい、こうしてほしかった、ということは数限りなくあるのですが、わたしは思春期にものすごくそれを親にぶつけて、20代はほぼ絶縁ぎりぎりのところまで行ったので、自分的にはそれですっきりしてけりがついたと思っています。そういう意味ではけんかさせてくれるくらいの度量のある親ではあったと思います。
そういう時期を通過することで、親は親でだめなところもあったけど、それなりにわたしを愛して、よかれとおもって必死にやってくれたこともいまは理解できるのです。
だから、わたしもこどもに対して至らない点は多々あるのですが、いままでも誠実に100%全力で向き合ってきたし、これからもだめなところがたくさんあるわたしをまるごと生きることで、こどもにはそれを参考にして自分なりの生き方を作っていってほしいなあ、と考えています。