世界にたった1人のこどもの個性や特徴に向き合う子育て
きょうはこちらの記事の続きです。
年末年始に「スカイのブログ」をじっくり読ませていただきました。そこから伝わってくるものはひとことであらわせません。
ただいえるのは、過酷な人生の試練を課された時、もちろん本人は生き抜くためにただ知恵を絞って力を振り絞って目の前の課題を乗り越えているだけのつもりなのでしょうが、もしそうした試練に誠実に(できるだけ誰も傷つけずに)真摯に向かい合う時、他の誰でもない自分にしか行けない道を選んで踏み出そうとする時、その人は流星のように燃えながら輝いているのだろうな、ということです。
発達障害という運命を生きる時、そこにいじめとかどちらが悪いともいえない人間関係のトラブルとか官僚的な組織との衝突とか不登校とか世間一般で普通とされている生き方を外れることへの抵抗とか、そこにありとあらゆる試練が現れるのですね。
最近自分の中で気になるテーマの「自己肯定感」ということを、発達障害のある子の文脈において考えるだけでも、自分では自覚のないなにかによって、クラスの他の子たちに疎まれたり避けられたりして、場合によっては担任の先生からも否定され、という中で自分はだめだと自己肯定感は下がるでしょうし、その状態でなにをしてもうまくいかない、という悪循環に陥るケースもあることはとてもよくわかります。
そこで、親が、このままだとこどもがつぶれるから学校に行かせるのはやめよう、と決断できればこどもは時間をかけて回復し、自分にあった学びかた(通信、フリースクール、ホームスクーリングから大学など)、これならがんばれるという進路(得意を生かす分野、農業、修行して職人になるなど)をみつけて自立して立派にやっていけるケースがあるのだ、というのがスカイさんの一族の実例から伝わってきます。もちろん他にもいろいろな道のりを経て自分の道を進んで行く方がたくさんいらっしゃってそういうケースについても書かれています。どれも読んでいて涙がでそうになるくらい、それぞれが必死に人生に取り組んでいて、自分の道を見つけてらっしゃいます。
そこで大切にされているのは、親がこどものひとりひとりをよく見るということ。もしその子の特性、個性をよく見るなら、それぞれがひとりひとり違うことは明らかだし、そのそれぞれ違う子に合うやり方も千差万別あり、勉強の進め方、合う環境、進路も数え切れないほどある、ということはすぐわかります。
だけどいまの日本の社会では、なかなか人と違うことが許されづらい。同じように学校に行く、同じように大学に行く、同じように聞いた事ある有名企業に入ることがよいとされています。
いま、そこの狭間で苦しんでいる親子がたくさんいるんだろうなとおもいます。
例えば大手代理店の過重労働による自殺が話題になりましたが、それも根っこは同じところにあるのではないでしょうか。みんな同じ個性という前提があるから、その中で偏差値などで序列をつけて学校を選ぶわけですよね。そして就職も同じように人気のところに行けたら行く、頭を下げて(もしかしたら自分を抑えて)入れてもらう、という発想になるのではないかと。人と違う個性を持った自分にフィットする環境(学び方、働き方、生き方)を選ぶ、という発想を持つ人が少ない気がします。
うちのこどもはいまのところ特に診断がつくような特性もなく、学校や幼稚園でもなにかいわれているわけではないのですが、わたしが子育てで目指している方向は、スカイさんたちのなさっていることに近いのだろうとおもいます。
ひとりひとりの特徴をよく見る、ひとりひとりのやりたいことはなにか見る。そしてそっちに一歩踏み出そうという兆候が見えたら全力で応援してやる、ということです。
その子のありのままの姿を尊重するということ、ともいえるかもしれません。
困っていたら、なにに困っているのかよく見極めてサポートする、ということです。
その子のその時の状態に最適な負荷がどのくらいか見極め、必要と判断したら適宜環境調整することです。
よく対話し、本人の行きたい方向を見出し、精神的に健康な状態で好きな事で身を立てて、自立できるようにしてやることだとおもいます。
決して親の都合や価値観や世間体であらかじめ決まった結論に向かって、こっちに行けばと誘導することではなく。
それは特性があってもなくても、難しさがあってもなくても、すべてのこどもたちによいことだとおもうのです。
周りにはそんなやり方の子育てをしている人はさっぱり見当たらないので、時々これでいいのかと不安になることもありますが、虹色教室の奈緒美先生やスカイさんのように似たようなことを考えている人は他にもいる、そう思って勝手に勇気付けられてなんとか前に進んでいます。
<追記>
こうした、ひとりひとりの個性や学び方や進め方の好みに合わせて教育をする「全校拡充モデル」(SEM)という考え方があることを知りました。ジョセフ・レンズーリという方の提唱する考え方です。
学校全体の教育活動の向上を目指す - 1号:才能教育最前線─子どもの能力の多様性を認めた教育を求めて
レンズーリ所長に聞く - 1号:才能教育最前線─子どもの能力の多様性を認めた教育を求めて
虹色教室ではこのレンズーリの SEMを目指して運営しているそうです。
こちらの虹色教室の記事から少し引用します。
レンズーリの考えは、
子どもは学校で学ぶ画一的な学習とは別に、
自分で選択した分野で才能を広げて豊かにする機会
知識の生産者になる(創造的に成果を生む)機会
も必要というものです。
私もその通りだと思います。
子どもは
自分の興味のある分野で学習活動に参加する。
興味を共有する他の子どもや大人と情熱を分かち合う。
自分の能力につりあう深さとペースで、その興味を追求する。
興味ある分野に関係する成果を選択する。
直接的な探求者になる。
という時間や場が必要なんですね。
まさにわたしがいま探しているのはこのような場です。
こどもが「これしたい」と思うことに関して、自発的に力を伸ばせる場所。そして、受身に知識を吸収するだけではなく、自分で考えてアウトプットしていくこと。工作でも絵を描くでも音楽の演奏でも、調べたことの発表でも。
今、子どもにとって勉強が面白くないのは
学びの中で他の子と共鳴しあう
他人と響きあう
という熱~い部分があまりにないからだと思います。
人が大金を出して流行を追うのも
今となればやる気が起こらないファミコンゲームにかつての子どもたちが熱狂したのも
互いを意識しあう人がいるからです。
物だけが与えられて、一人で身につけたり、一人で遊んでも面白くないはずです。
他のこどもや大人と響き合うっていいことばですね。そんなふうに響き合いながら学べる場があったらすてきです。
レンズーリの提案する拡充学習は、
学校でするとなると不可能とも思える一大事ですが、
家庭でするならちょっとした空き時間に
お金をかけずにやっていけるようなことばかりです。
拡充の幅をより広げるためには、おじいちゃんおばあちゃんや
近所の子の協力もいるかもしれませんが、アイデア次第で何とでもなります。
これはいい!
これから家庭で拡充学習をするために、いろいろ手立てを工夫してみようとおもいます。一緒にこういうことやってみたいと思う方がいたらぜひコメントなどでご連絡ください。アイディアなど出し合って情報交換できたら楽しいとおもいませんか?
たぶんそれぞれの子供のタイプや才能の方向によって実際の活動の内容はさまざまになるでしょうし、直接取り入れることは難しいかもしれませんが、大筋の方向性でお互いに参考にできることはあるとおもいます。