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読書をしながら、子育てしながら、お仕事しながら、人間の内面についていろいろ考えたりする毎日

「なにかができるようになること」と「こどもの喜び」がつながっているか

enfant.living.jp

またまた増田修治さんの記事の紹介です。

 

増田さんが学校で担任を持っていた時、逆上がりができない子がいて、時々一緒に練習していたそうです。3週間後、ついに逆上がりに成功。その時その子は大喜びしたそうですが、その後ほっとした表情で「もう逆上がりの練習は終わりだね」といったのだそうです。

 

正直、私はすごく大きなショックを受けました。B子は、できたことの喜びよりも、これ以上練習しなくて良いということの方がうれしかったのです。

これ以来、運動に限らず学習においても、「できることが、子どもの喜びにつながるには何が必要なのだろうか?」と考えるようになりました。そして、子どもが本当に求めているものは何なのかを考えるようになっていきました。

 

わたしも日頃こどもの宿題を見たり、走る練習につきあったりすることがありますが、親はついつい「できるようになるのがいい」と思ってしまいます。もちろんできるようになる方がいいし、子ども自身できるようになって嬉しいきもちもあるとおもうのですが、こどもの気持ちがそこについてきているか? ということを気にしてあげないといけませんね。

 

そして何より大切なことは、子どもの「快情動」を引き出すことです。ここ最近、「情動の教育」ということが言われています。つまり、「やりたい」「できるようになりたい」「練習すること自体が楽しい」という「快情動」と一緒に学んだ事の方が定着率が高いことがわかってきました。

逆上がりだけに集中せず、一緒に「豚の丸焼き」(鉄棒に両手両足でつかまる)や足だけでぶら下がって手を着くなどの面白い動きを途中で入れながら教えていくことです。鉄棒運動そのものが面白いことを、まず教えていくことが大切なのです。「この鉄棒遊び、楽しいね」と思わせながら、逆上がりを教えていくことです。

くれぐれも、「なんで教えてもできないんだ」とイライラせず、子どもと一緒に鉄棒を楽しむ。その結果、逆上がりができたらもうけものぐらいの気持ちを持つことが大切なのです。

 

まず最初に親のやらせたいことではなく、こども発の「これやりたい」という気持ちを尊重してなにをするか決めること、そしてこどもが楽しめているかどうかを大切にすること、成果は期待しすぎずおまけとおもうくらいにすること、というのはわたしも日頃気をつけている点だったので、本当にそうだなあとおもいました。

 

いまのところうちのこどもたちはその作戦でうまくいっています。自分でやりたいといって始めた習い事は続いているし、モチベーションも高いままです。また、習い事以外の時間にも自分からやりたいといってやっています。練習とかそういうことではなく、楽しいからやる、好きだからやる、やりたくないことははじめからやってないという当たり前といえば当たり前のことですが。まわりの話を聞いても、親主導ではじめた習い事が合わなくて、毎回行きたくないという、やる気のない態度を見せる、続かないなどの話を聞くことがあります。うちは、例えば学校の勉強や宿題なんかはやりたくなくたってやらなくちゃいけないわけなので、それ以外はできるだけ好きなことをさせてあげたいなあという考えです。

 

習い事だけでなく勉強とか走ることや逆上がりなど、いろいろなことに通じる話ですね。

 

親がこどもにこれをしてほしいなあ、マスターしてほしいなあ、と望むことと、こどもがこれやりたい、楽しいという対象が必ずしも一致しない時もありますが、その中間に「親子で楽しむ」というモードがあるのかなとおもいました。

 

父親に数学を教えてもらっていて、だんだんわたしがわからなくなってくるとひたすら怒られてるだけになって、でもわからないものはわからないままで、ただただ情けなく悲しかったことをおもいだします。いまとなってはほろ苦い思い出です。