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読書をしながら、子育てしながら、お仕事しながら、人間の内面についていろいろ考えたりする毎日

年収は自分の値札??

働き始めるにあたって、楽しみだなという気持ちや、できるかなという不安、ちゃんとしなければという気持ちなどいろいろ交錯しております。

 

その中で、収入と自己評価についていろいろおもったことを書いてみます。

 

思えば、若かりし頃、おじさまや同年代の男性と張り合って仕事をしていた時、かなり収入のことを鼻にかけていた気がします。

 

学生時代、特にもてるわけでもなく、スポーツができるわけでもなく、おしゃれにも疎く、ひたすら地味に目立たないようにしていましたし、いわゆるてきぱきと気を利かせてお金を稼ぐ、ということを特に苦手に感じていたので、その自己否定感の反動だったのでしょう。

 

わたしだってやればできるんだから、という気持ちが先走り、嫌な奴だったとおもいます。

 

で、具体的に何が得意だったかという中身を点検してみると、一人前に稼いでいるんだからね、ということがかなり多くを占めていたかと思うのです。

 

とりわけ高収入だったわけではないですが、正社員で残業代、賞与もいれるとそこそこいただけました。その年収で家族を養っている人もたくさんいるはずです。

 

派遣やアルバイトで稼いでいた時も、自分の自由に使えるお金があるというのはいい気分でした。

 

翻って育児に追われる主婦の立場では、いくら忙しくてもがんばってもお給料がもらえません。なんとなく贅沢するのは気がひけるものです。お金を使うことに躊躇して使わないで悶々としたり。使うにしてもいくらまでが適正なのか、はっきりした基準がないので、お金を使ってもなんだかこれでいいのかもやもやする気持ちがありました。

 

もちろんベースの考え方として、人間の価値がお金で決まるものではないことははっきりと認識しています。

 

家事や育児がお金にならないとはいえ、尊い仕事だということも。

 

それでも、今回仕事を始めるにあたって感じる「気分の張り」の中にはやはり「わたしだってお金を稼げる、それなりの価値のある存在なのだ」という気持ちがあります。

 

もちろんそれだけじゃなくて、仕事を通じて人の役にたてたらいいな、よろこんでもらえたらいいな、という社会的なつながりを持つ喜びもあれば、自分でお金を稼ぐということである程度の経済的な自立ができる、自由を手にいれる、という喜びもありますが。

 

どうしても「収入=自分の値札」みたいな社会通念というか、自分の中の観念というものが根強くあるのだな、ということを自分によく言い聞かせておきたいと思います。