Follow your bliss

読書をしながら、子育てしながら、お仕事しながら、人間の内面についていろいろ考えたりする毎日

ポップアップカード作り

レンズーリについての記事も書きたいのですが、ちょっと寝かせモードにするといいアイディアが出てくることもあるので、ちょっとおいておいて、先日家族でポップアップカードを作って遊んだ様子の紹介です。

 

ワークショップに家族で参加してきたのですが、講師の先生がとてもいい感じで、大人も子供も遊んで楽しく過ごしました。

 

見本はたくさんおいてあるけれど、キットみたいなのは用意していなくて、自由に作る雰囲気でした。また、参加者も老若男女幅広くいました。先生は、あちこちまわって生徒のわからないところをちょいちょいアドバイスしてくれるのですが、小さい子の作品も大人の作品も「いいねえすばらしい」と心から感嘆している様子が伝わってきました。

 

わたしは立体造形とか苦手だし、最初どこからやっていいかもわからなかったですが、見本を見て気に入ったものを真似して作るところからはじめました。同じテーブルの大人たちも「わからないわねえ」「うまくいかない」「また失敗」と言い合いながらとりあえずやってみてどうしたものかとぼーっとしたり。思ったのと逆に動くように作ってしまう失敗は結構ありました。

 

立体がわりと得意な夫はもくもくと白い紙で実験をくりかえし、たくさん作っていました。

 

しばらくぼーっとしていたわたしですが他の人や自分の失敗作を見るとけっこうひらめくのですよね。捨ててあった失敗作をリメイクしてみたり。ちょっとアレンジして変えてみたり。

 

こどもにいろいろ聞かれたりするのですが、受け答えがおろそかになるほどに自分の制作にも夢中になり、楽しんでいました。

 

こうしてみんなで盛り上がる場を作るコツがあるのでしょうか。うちでやると、うまくいったりいかなかったりでまったく予想通りにいかないのですが。

 

写真下手で申し訳ないのですが、こんなのみんなで作りました。

 

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家庭でする拡充学習のかたち

拡充学習の勉強もなかなか進まず、新しい記事が書けないでいます。そんなこんなしているうちに、虹色教室で拡充学習についての記事がアップされていましたので紹介させていただきます。

 

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<拡充の三つ組モデル>

 

タイプ1 一般的探索の活動

 

全生徒が対象。一般的探索の活動からなり、普通カリキュラムではあまり取り上げられないような、新しくておもしろいトピックや考え方、学問分野に子どもが触れられるように計画されている。

その活動は、さまざまな種類やレベルの継続学習への「招待」だと子どもが自覚している。

多様な種類の継続学習のために、種々の機会や物的資料、奨励がある。

 

 

タイプ2 集団訓練の活動


広範囲の「処理技能」を発達させるように計画されている。

①認知的訓練(分析、組織化、批判的思考、創造性)

②感情的訓練(内省的、対人的、人生の危機への対処)

③学習の仕方の学習(聴く、認識する、ノートをとる、要約する、面談・調査する、データーを分析する、まとめる)

④研究と参照の技法

文章や口頭、視覚的手段による発表技法。

 

タイプ3 個人、小集団による現実の問題の探求

 

子ども個人や小集団の興味にもとづく必要がある。

子どもは自分が探求しようとする現実の問題を「抱え」なければならない。

発表相手に糸した結果をもたらすような、本物の成果を発展させる。

種々の学習スキルを自分で使えるように向上させる。

課題への傾倒、自信、達成感、人とのやりとりなどの感情面のスキルを発達させる。

 

具体的にはこんな風に発展させるわけですね。また、記事では虹色教室でいままで行われた活動も紹介してあり、とても参考になります。(形の発見、回転への興味などなど)

 

この記事を拝見して思うのは、わが家では探索的活動までは時々できているのですが、それが継続的にひとつの興味を追うところまでいかなかったりするのかなと。虹色教室で行われている活動で、ひとつの興味を継続的に追って活動している様子をみると、なるほどとおもいます。

 

ひとつのテーマをこうして掘り下げたら、その後制作や調べたことをまとめて発表するなり、なにかしらアウトプットのかたちにまとめて、社会と関わるような活動(コンテストに応募するとか、現場の人に評価してもらうとか)につなげていくと、レンズーリのいう拡充学習のかたちにばっちりとあてはまるのですが、たぶん、そのばっちりしたかたちを毎回目指さなくても、そのフィニッシュまでのかたちをイメージしておくだけでもいいのかなとおもったりします。

 

コメントでいただいた意見にもあったのですが、普段のとっかかりとしてはできるだけシンプルな活動から入る方が、入りやすいですし、親も取り組みやすいですね。

 

親としてはシンプルな活動のアイディアを提供していく。ただ、それが継続的な興味、テーマにつながっていくかどうか、という視点を持ってこどもの反応を見ていくといいのかなと。

 

なので、探索の種になるような「シンプルな活動のアイディア」、それがどんなテーマにつながっていくかという意味で「どんなテーマがあるのか」ということを、リストで共有できたらいいかなとふと思いつきました。

 

それを見ながら親がこどもに提示して、反応を見ながら一緒に活動していくといいのかもしれません。

 

ひとつのテーマに継続して取り組んだ後は、かたちにまとめたり専門家に見せたりする機会も、もしできたら持ったらいいですね。

 

虹色教室の記事やワーキングマザーさんのコメントのおかげでこんなことを考えてみました。みなさんの感想やアイディアお待ちしています。

 

 

 

 

レンズーリの「個性と才能をみつける総合学習モデル」を読みました その2

J.S. レンズーリ 「個性と才能をみつける総合学習モデル」を読んで、印象に残った部分を要約や引用でお伝えします。この記事ではおおまかな概要についてです。

 

その理念ですばらしいとおもうところはすべての子どもを対象としているところです。また、才能というものの捉え方にも注目です。

 

「才能教育」から普通教育での「才能伸長」へというパラグラフでは次のように書かれています。

 

(1)「すべての」子どもに、広範囲の高度なレベルの拡充〔学習を広く深く個性化する〕の経験を提供する。

(2)そういう経験への多様な「子どもの反応」の仕方を、個人や小集団として適切なフォローアップをするための足がかりとする。

 ここで注目したいのが、教師から生徒へ一方的に教えたいことを伝えるのではなく、子どもの反応の仕方をしっかり捉えて、活動に生かすということですね。双方向的なコミュニケーションのかたちになっています。とても風通しのよさそうなアプローチです。

 

才能についてはこうもあります。

このアプローチは、誰が「英才」「才能児」で、誰がそうでないかと認定するような、新しい方法とはみなされない。そうではなくて、このプロセスでは、その後の「機会や資料、症例」をどのように与えて、必修と自己選択両方の活動に子どもがますます関与するのを支持できるか、ということがわかるだけだ。このアプローチは、子どもや若者に高度の多様な潜在的能力を伸長させることをめざし、ある子どもに「才能がある」とラベルつけをする(案に他のすべての子どもを「才能がない」カテゴリーに追いやる)ような、因習的なやり方を避けるよう意図的に計画されている。

 他の部分にもこんな文章があります。


特別指導は「才能行動」をただみつけたり確かめたりするだけではなく、それを伸ばす機会だ、とみるべきである。

すばらしいです。全面的に賛成です。

 

 他にわたしが素晴らしいとおもった部分をリストアップします。わたしのコメントは→マークの部分です。

 

◯いまの学校で一般的に行われる画一的、一方的な学習モデルではなく、子どもが自発的に喜びを持ってプロジェクトを行うことが推奨されるところ

◯個別のこどもの興味や学習スタイルに沿ってテーマや活動内容を選んで活動する

→そのことで、さまざまなタイプの子どもに必要な学習が可能になる。ギフテッド、発達凸凹その他学校での学習スタイルに不適応な子どもにも対応できる。

◯創造的、生産的な人材を育てることをゴールとしている

→もちろん才能にもいろいろな性質のものがあり、誰にも理解されず、評価されない才能というものにもきっと意味はあるとおもいます。ただ、教育のゴールとしては、社会に対してその才能を活かした貢献をする、そしてそれに対して評価されたり、感謝されたり、対価を得たりすることを目指すのは大切です。喜びを持って才能を活かした仕事をし、それで自立した生活ができれば人間としてすばらしい生き方ができるとおもいます。決して自分だけで自己完結するのではなく、周りも幸せにして、それによって自分も幸せを感じて生きられれば素敵です。

 

また、こんなことも書いてあります。

変化をもたらすには2つの固定観念を打ち破ることが大事。
(1)一人の人や一つの集団だけが正答を知っている、(2)変化は直線的だ、という考え。

 これは地味に噛みしめたい、深いことばですね。前提として心に留めておきたいです。

 

次は拡充学習の大事な4つの概念になります。

◯拡充学習・教授の4つの概念
(1)それぞれの学習者は一人ひとりちがう。したがって、すべての学習経験は、個人の能力や、興味、学習スタイルを考慮する必要がある。

 

これは何度も紹介していますが、それぞれ一人一人に合ったプログラムになるよう工夫するということですね。そしてそれは興味の方向を幅広くすることでもあるし、それだけでなく学び方の好み、表現方法の好みなども反映して活動するということです。

 

(2)学習は、子どもが自分のしていることを楽しむときのほうが、効果的である。したがって、学習経験は、他の目標だけでなく楽しみも考慮して構成され評価されるべきだ。

 楽しい方がたくさん学べる!だからできるだけ楽しく(といってもただおもしろおかしいという意味ではないでしょうが)学べるように活動を工夫する。いまの学校に足りない発想ですね。

 

(3)学習は、内容(つまり知識)と方法(つまり思考スキル、探求方法)が現実の問題の状況で学習されるときのほうが有意義で楽しくなる。したがって、子どもは問題に取り組む現実的な本物の方法を用いるべきだし、実社会の発表相手の心を動かすように努力すべきだ。

 これは机上の知識を教え込む方法よりも、実社会と接点を持って課外学習的なアプローチにした方がよいという考えですね。大人が興味を持ってくれたらうれしいですね。

 

(4)拡充学習・教授は、知識を増大させ、思考スキルを獲得することに焦点を合わせる。したがって、形式的教示と並んで、子ども自身が意味を理解して構成するような知識とスキルを応用する機会も重要だ。

 

 

 

これらの原理に導かれる学習の最終の目標は、依存的で受動的な学習の代わりに、独立的で積極的に関与する学習を行うことだ。きわめて保守的な教師でなければ誰でも、これらの原理に同意するだろう。

 

 依存的、受動的な学習でなく、独立的で積極的に関与する学習。そうですよね。大賛成です。

 

もともとのレンズーリの価値観がとても自由独立なところがあり、そこにとても共感しています。やり方は、いろいろと現状に合わせて工夫していく必要があるにしても。

 

拡充学習、なかなか魅力的なのですが、どこからどうやって手をつけようかというところで止まっています。

 

あまり厳密な定義にとらわれず、あれこれ試行錯誤してみるつもりです。またぼちぼち記事を書いていきますのでよろしくおねがいします。

 

 

 

 

個性、才能の芽の見つけ方

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虹色教室の奈緒美先生が、続々と教室での試みについての記事をアップしてくださっています。

 

こちらの記事から引用させていただきます。

 

教室では、子どもの「こんなことがしたい」という声に応えるためのさまざまな体験を用意しているのですが、「こんなことがしたい」と言葉に出して伝える前の個性のなかにある潜在的な「この子は好きだろうな」

「この子はこういう才能がありそう」 「この子はこういう機会を増やすと伸びそう」という体験も用意しています。

後者の体験は、子ども側の言葉にまだなっていないものなので、これまで教室で子どもたちの成長を見守るなかで培ってきた「こういうタイプの子はこういうことを好みそう」「こんな体験のなかで成長しそう」

 という勘に基づいて準備しています。

 

そうなんですよね。拡充学習で「個性や才能を伸ばす」と考える時、その前に「個性や才能の芽に気づく」というステップが必要だな、と考えていたところでした。

奈緒美先生の、繊細な感覚でこどもの潜在的な才能の芽を見つけて伸ばしていく様子は本当にすばらしくて名人芸のようなのですが、その一方で普通に子育てしている親が、こどもを見ながら気軽に試行錯誤できるような枠組みもあるといいなとか、いろいろ考えます。

ひとつ思うのは、親が簡単に目に見えるもので決め付けないことが大事で、こどもの個性や才能の方向はその子自身がこれしたい、あれしたい、というかたちで教えてくれている、という気持ちで親が後からついていく、そこにおつきあいしながらお手伝いできることがあればサポートする、というくらいの対応がちょうどいいのかな、とおもいました。

 

親が専門的な知識や知識を持たなければこどもに拡充学習をさせてあげられない、と思い込んでしまうのはもったいないですよね。

 

むしろ、偏見や先入観がまったくない状態でその子の側にたっていろいろなことを発見していける可能性があるとおもいます。

 

少なくともその子とたくさんの時間を過ごして、よく知っている、ということはいえるとおもいます。こどもをもっと知りたい、どんな個性の芽があるかな、とアンテナをはっていけばもっともっと発見があるかもしれません。

 

この話題についてもいろいろ深めていけたらと思います。

 

 

 

レンズーリの「個性と才能をみつける総合学習モデル」を読みました

 こちらの本が、現在日本で唯一出ているレンズーリの本になります。

どうも絶版のようで、図書館で借りて読んでみました。

個性と才能をみつける総合学習モデル

個性と才能をみつける総合学習モデル

 

 

今日はまず、著者による「日本語版への序文」のところから紹介します。

理念がわかりやすくまとまっていてよいです。

 

いきなりこう始まります。

 

学校教育では、子どもを社会化したり、現実的・理性的に世の中をみられるように特定の形式の知識を教えたり、市民として民主的な暮らし方に参加する準備をさせることを伝統的に行ってきた、こういった目的は、産業革命の影響を大きく受けた社会のニーズを反映していた。そして学校は、子供達に労働者になる準備をさせる工場のいわば原型になった。

 

まさに、わたしがいまの学校教育に対して持っている印象そのままです。

 

そういう面は今日でも重要だが、ポスト産業社会で起こった変化をみると、教育の根本を再検討せざるを得なくなる。学校での学習は子供の創造的な潜在能力を解放して、たんに社会に参加するだけでなく社会をつくっていく役割を担えるようにする手段である、と進歩的な教育学者は考えた。子ども一人ひとりの潜在能力を引き出し、個性の本質、つまり広範囲の能力・興味・動機づけ・学習スタイルを反映するように学習を変えることが重要だと主張された。

 

もういままでの工場の大量生産モデルみたいな教え方は、いまのポスト産業社会には適していないのではないか、ということですね。受け身に社会に参加するのではなく、社会を作っていくような人材に育ってもらうような教育、ひとりひとりの潜在能力、個性の本質に合わせた学習が必要とされている、ということですね。本当に心から賛成です。レンズーリが最初にこうした研究を発表したのは70年代で、その頃は学会からもあまり評価されなかったそうですが(マイコー雑記さんより)、いままさに必要とされている考えですよね。

 

本の学校がこうした個の潜在能力や広範囲の能力・興味・動機づけ・学習スタイルを反映した学び方の場所にいますぐ(!?)変わってくれるのが理想ですが、きっとまだ時間がかかりそうですから、家庭でできるところからやっていこう、というのがたぶんわたしたち親のできることかなとおもいます。そして、その輪が広がってみんなが「それっていいね!」と思ってくれたらそういう新しいスタイルの学校もできるかもしれないですしね。

 

また、このSEM(全校拡充モデル)というものは、もともとは、高い能力のある子ども向けの特別プログラムで開発されたものですが、そこではいままでの方法にとらわれずに高い思考スキルや創造性を伸ばす新しい方法を試み、その結果から、すべての子どもに学習経験を広げ深める(拡充)機会を提供する方法が生まれたのだそうです。

 

そういった才能教育の特別プログラムの実践が、すべての子どもの学習を改善するという普通教育の改革モデルに吸収されてきたのは好ましい展開である。なぜなら才能教育のノウハウが広く有用なことが示されるし、すべての子どもが高次の思考スキルを発達させて、知識偏重の教育よりは高度な学習内容を追求して直接的な探求活動を体験する機会が得られるからである。この方法は、学習「障害」の子供達も含めて、集団全体の個人差に対処して潜在的な才能を伸ばすという民主主義の理想を反映している。

才能教育の方法を普通教育に応用できるのは、多くの研究のおかげで、人間の能力や才能はIQなどで捉えるものよりずっと広いのだと考えられるようになったからでもある。

 

 

必要な学びの量と速さが、既存の学校での学習量やペースでは間に合わない子(いわゆるギフテッド)にも、学習障害がある子にも、分野によって発達の凸凹がある子にも、個別対応していくことで、さまざまな分野の才能を伸ばしていくことができる、という基本理念がすばらしいとおもいます。個別対応というのは、ある意味いまの学校には体制的に一番難しいことかもしれなくて、そういう意味でもそれぞれの家庭での支援、というのは取り組みやすいといえるでしょうか。少人数の塾やフリースクールのようなところで、もしかしたらこうした対応をしているところも既にあるのかもしれません。

 

潜在的な才能を伸ばす」というところにも注目したいとおもいます。家庭で取り組む時にも、まだ結果として見えていなくても、子どもをよく観察して才能の芽というものを見過ごさずに見つける、ということが重要になってくるとおもいます。また、親が偏見を持たずに幅広い分野に才能が隠れているかもしれない、という考えを持つことが大切ですね。

 

本の学校の先生方が「子どもとは多様なもので、さまざまな分野で学習スキルを身につけさせる方法もまた多様なのだ」と理解するようになってきたと私どもは思っている。この本ですすめているタイプの「拡充」とは「誰が才能があるか」をみつけるのではなく、一人ひとりの優れた行動を伸ばす機会だと捉えていただえければよいだろう。

 これはマイコー雑記さんのブログでも書かれていましたが、才能というものが、限定された個人に固定的に存在するもの、という捉え方から、誰にでもその「芽」はあって、育ててやれば育っていく可能性のある、動的なもの、という捉え方ですね。これはとても大事な視点だとおもいます。

 

私どもの経験では、学習に苦しんでいる子どもでも、学問や創造的活動のトップレベルに上れそうな子どもでも、すべての子どもがこのモデルの恩恵を受けることができた。SEMにおける実践で、子どもたちは自ら学習を進め学習の情熱と喜びを大きくするように励まされることは間違いないだろう。子どもが創造的な拡充の機会を追求すると、おのずと伝達技能を身につけ創造的に取り組むことを楽しむようになるのである。SEMによって、子どもたちはそれぞれの個性と才能を伸ばし、生涯学習のスタートを切る機会が得られるだろう。

 実際にSEMを実践して、さまざまなタイプの子どもたちによい結果をもたらしたというのは心強いですね。

 

また、主体的に楽しく学ぶ、創造的に取り組む、ひとつのことに熱中してなにかをやりとげることを後押しされて、才能が伸びていく、というSEMの基本のコンセプト(また追って記事にする予定ですが、マイコー雑記さんで紹介されている三輪の概念というのがそれです。)はとても素晴らしいものです。

 

なにかを押し付ける、押し付けられるというのはお互いに苦痛で長続きしないものです。楽しいからという理由で、こどもが自発的に自分の才能を伸ばしていけるなら、そしてそれが生涯を通して続くならそれが一番いいですよね。

 

( ↓ こんな記事も書いたことがあります。)

milkaddict.hatenablog.com

 

 

以上とりあえず序文の紹介でした。また消化してからゆっくり感想などかけたらとおもいますがひとまず。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あたし研究」→レンズーリの全才能ポートフォリオ

レンズーリの拡充学習について記事を書いたところ、さっそく虹色教室やマイコー雑記さんで紹介していただきました。

 

ありがとうございます♪

 

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どれもおもしろく勉強になる内容なのでぜひみなさんご覧になってみてください。

 

わたしはこれからレンズーリの本を読んで、どんなことができるか考えるところで、まだ全然追いついていませんが、ぼちぼち試行錯誤しながら記事を書いていきます。一応予定としてはレンズーリの拡充学習についての記事を書いて、それからどんなことをしたらいいかのアイディアややってみた記録など書いていくつもりです。

 

さて、こんな本を読みました。

あたし研究

あたし研究

 

 

スカイさんのブログで紹介されていた本です。自閉症スペクトラムを持つ作者の方が、イラストで、日頃どんなことで困るのか、図解している本です。

 

「ちょっと待ってて」といわれると、ちょっとがどのくらいの長さかわからなくて困る、 優先席は描いてあるマークと同じ状態でない人は座ってはいけないとおもっていた、服のタグはとらないとひどい肩こりや頭痛に悩まされる、など。

 

自閉症スペクトラムの場合、困っていることが表にあらわれないので、こんなふうに困っている人がどう感じているか、しかもイラストでわかりやすく伝えてくれるというのは、関係者の人にはとても役立つことだとおもいます。

 

そこでおもったんですよね。「あたし研究」、これは誰もがやったら役に立つのではないかと。

 

自閉症スペクトラムの人でも、人によってきっといろいろなケースがあるのだろうし、ADHDの人もいるし、発達障害がない人だっていろいろな人がいる。

 

それぞれに心のくせとか行動のパターンとか身体的特性とかよく観察すればあるとおもうのです。

 

わたしの場合、「敏感さ」という特性があります。

 

HSP(Highly sensitive person)という考え方はエレイン・アーロンという方が提唱されていて、本も何冊か出ています。

 

発達障害とはちょっと違って、人より感受性が豊かで刺激に弱い特性を持つ人がいる、という考えです。

 

わたしの場合、ざっくりといって人の多いところ、音のうるさいところ、光の多いところに行くとすぐ疲れてしまいます。また、疲れやすく、体調を崩しやすいです。気をつけてケアするようにしています。

 

その代わり結構特技もあるので、それを生かして生きてきた、という感じです。文章を書くのも特技のひとつかもしれません。

 

ただ、エレイン・アーロンさんの考えには、うなずけるところもあるけど、自分にはちょっとあてはまらないところもあるなと感じています。

 

また、敏感さとは別の特性から来ている特徴も、自分の中にはあるかもしれません。

 

だけど、「あたし研究」ということばに出会って、そうかとおもいました。

 

自分をあれとかこれとか分類しようとするから疲れるので、自分を研究すればいいのです。世界のどこにもいないわたしを研究すればいいのです。

 

これから時々自分研究をしていこうとおもいます。

 

自分がどんな特徴を持っているか、分析するといろいろ工夫できるし生活が便利になりそうですし、他の人にも説明しやすくなりますね。

 

と、ここまで書いたところで、レンズーリの全校拡充モデル(SEM)の話につながっていくのですが、レンズーリは「全才能ポートフォリオ」ということをいっているようです。

 

例えば、いま学校で評価される才能ってほんの少しですよね。

 

教室でじっとしずかに授業を聞いていられるか、とかいわゆる教科書にのっているような学習を理解できるか、とか。

 

また、いわゆる教科の学習についても、その時興味のある分野を自分のペース、その時必要な速さで学習することはまったく認められていない。

 

ビジネスの才能、営業の才能、分類不可能な新しいことを考えついて熱中する才能、創造すること、人生を楽しむ楽天性、などなどそこからもれているものがたくさんありますよね。

 

1人の人が持っている才能全体を球と考えたら、いま日本の学校で通知表についたり、そうでなくても先生が認めてくれるようなよい部分って何パーセントくらいでしょう?5%、1%? 地球儀でいったら日本くらいのほんのちっぽけな部分な気がするのです。

 

世界のどこにもない個人の特性を研究し、それにあったやり方でその人の独自の才能を伸ばす、これができれば最強ではないかとおもいました。

 

 上記の虹色教室より引用してご紹介します。(わたしもレンズーリを研究したいのですが、まだレンズーリの本を取り寄せ中で読めていないのです。どうも絶版のようです。引用が多くなりすみません。)

 

レンズーリは、
「すべての」子どもに、広範囲の高度なレベルの拡充の経験を提供する。

そういう経験への多様な「子どもの反応」の仕方を、
個人や小集団としてフォローアップをするための足がかりとする。

という新しい教育のあり方を提案しています。

こうした考えを取り入れた海外の学校では、

子どもの能力、興味、学習、表現スタイルの好みについての情報を体系的に集め、「全才能ポートフォリオ」という形で記録しているそうです。


全才能ポートフォリオでは、小学生であっても
興味の分野の欄に、
工芸、演劇、販売、経営、物理、作曲、コンピューター…といったものまで書き込まれています。学校は自分たちのする授業でだけ子どもを評価するような
偏った子どもの見方をしていないのです。
先生が絶えず子どもの得意な分野に関心をしるして、情報を収集し、情報を更新しています。

また、思考スタイルは
分析的
創造的
実際的
立案型
順守型
評価型
のどれにあたるのか、よく観察されていて、
日本では無視されるような創造的発明的に考える子や、
日常知恵が働く実際的な考え方なども尊重されています。

表現スタイルは
文書発表
口頭発表
工作
討論
展示
演劇
美術
図示
販売
奉仕活動

とその子の個性的な良さが理解される形で
評価されています。

授業スタイルは
暗記.ドリル
友達同士の教えあい
講義
講義と討論
指定された独立学習
指定されない独立学習
学習、興味センター
模擬、役割演技、演劇、指導による空想
学習ゲーム
模倣的レポートやプロジェクト
探求的レポートやプロジェクト
実習
見習い

と、さまざまな授業の中で子どもの様子を評価するので、
大人の物差しによって子どもが決め付けられた評価を受けて
そのために勉強が嫌になっていく…ということがないのです。

そうした教育や子ども観を一部でも取り入れた学校…
…すてきだなぁ~!
と思いますよね。
きっと自分はだめな子なんだ~と思い込んで
勉強嫌いになる子はほとんどいないと思います。

でも日本の学校でこうした柔軟な教育が受け入れられていくのは
難しい~とも感じてます。

せめて親は
これくらいさまざまな視点から
子どもの能力や才能を見てあげたいですよね。

学校や塾の成績や授業態度で子どもの能力を決め付けるなんて
ばかばかしいです。

ひとりの人というのは
本当に多彩な才能を秘めた複雑な存在なのですから…。

 

 

 

 

 

世界にたった1人のこどもの個性や特徴に向き合う子育て

 

milkaddict.hatenablog.com

 きょうはこちらの記事の続きです。

 

 

年末年始に「スカイのブログ」をじっくり読ませていただきました。そこから伝わってくるものはひとことであらわせません。

 

ただいえるのは、過酷な人生の試練を課された時、もちろん本人は生き抜くためにただ知恵を絞って力を振り絞って目の前の課題を乗り越えているだけのつもりなのでしょうが、もしそうした試練に誠実に(できるだけ誰も傷つけずに)真摯に向かい合う時、他の誰でもない自分にしか行けない道を選んで踏み出そうとする時、その人は流星のように燃えながら輝いているのだろうな、ということです。

 

発達障害という運命を生きる時、そこにいじめとかどちらが悪いともいえない人間関係のトラブルとか官僚的な組織との衝突とか不登校とか世間一般で普通とされている生き方を外れることへの抵抗とか、そこにありとあらゆる試練が現れるのですね。

 

最近自分の中で気になるテーマの「自己肯定感」ということを、発達障害のある子の文脈において考えるだけでも、自分では自覚のないなにかによって、クラスの他の子たちに疎まれたり避けられたりして、場合によっては担任の先生からも否定され、という中で自分はだめだと自己肯定感は下がるでしょうし、その状態でなにをしてもうまくいかない、という悪循環に陥るケースもあることはとてもよくわかります。

 

そこで、親が、このままだとこどもがつぶれるから学校に行かせるのはやめよう、と決断できればこどもは時間をかけて回復し、自分にあった学びかた(通信、フリースクール、ホームスクーリングから大学など)、これならがんばれるという進路(得意を生かす分野、農業、修行して職人になるなど)をみつけて自立して立派にやっていけるケースがあるのだ、というのがスカイさんの一族の実例から伝わってきます。もちろん他にもいろいろな道のりを経て自分の道を進んで行く方がたくさんいらっしゃってそういうケースについても書かれています。どれも読んでいて涙がでそうになるくらい、それぞれが必死に人生に取り組んでいて、自分の道を見つけてらっしゃいます。

 

そこで大切にされているのは、親がこどものひとりひとりをよく見るということ。もしその子の特性、個性をよく見るなら、それぞれがひとりひとり違うことは明らかだし、そのそれぞれ違う子に合うやり方も千差万別あり、勉強の進め方、合う環境、進路も数え切れないほどある、ということはすぐわかります。

 

だけどいまの日本の社会では、なかなか人と違うことが許されづらい。同じように学校に行く、同じように大学に行く、同じように聞いた事ある有名企業に入ることがよいとされています。

 

いま、そこの狭間で苦しんでいる親子がたくさんいるんだろうなとおもいます。

 

例えば大手代理店の過重労働による自殺が話題になりましたが、それも根っこは同じところにあるのではないでしょうか。みんな同じ個性という前提があるから、その中で偏差値などで序列をつけて学校を選ぶわけですよね。そして就職も同じように人気のところに行けたら行く、頭を下げて(もしかしたら自分を抑えて)入れてもらう、という発想になるのではないかと。人と違う個性を持った自分にフィットする環境(学び方、働き方、生き方)を選ぶ、という発想を持つ人が少ない気がします。

 

うちのこどもはいまのところ特に診断がつくような特性もなく、学校や幼稚園でもなにかいわれているわけではないのですが、わたしが子育てで目指している方向は、スカイさんたちのなさっていることに近いのだろうとおもいます。

 

ひとりひとりの特徴をよく見る、ひとりひとりのやりたいことはなにか見る。そしてそっちに一歩踏み出そうという兆候が見えたら全力で応援してやる、ということです。

 

その子のありのままの姿を尊重するということ、ともいえるかもしれません。

 

困っていたら、なにに困っているのかよく見極めてサポートする、ということです。

 

その子のその時の状態に最適な負荷がどのくらいか見極め、必要と判断したら適宜環境調整することです。

 

よく対話し、本人の行きたい方向を見出し、精神的に健康な状態で好きな事で身を立てて、自立できるようにしてやることだとおもいます。

 

決して親の都合や価値観や世間体であらかじめ決まった結論に向かって、こっちに行けばと誘導することではなく。

 

それは特性があってもなくても、難しさがあってもなくても、すべてのこどもたちによいことだとおもうのです。

 

周りにはそんなやり方の子育てをしている人はさっぱり見当たらないので、時々これでいいのかと不安になることもありますが、虹色教室の奈緒美先生やスカイさんのように似たようなことを考えている人は他にもいる、そう思って勝手に勇気付けられてなんとか前に進んでいます。

 

<追記>

こうした、ひとりひとりの個性や学び方や進め方の好みに合わせて教育をする「全校拡充モデル」(SEM)という考え方があることを知りました。ジョセフ・レンズーリという方の提唱する考え方です。

 

学校全体の教育活動の向上を目指す - 1号:才能教育最前線─子どもの能力の多様性を認めた教育を求めて

 

レンズーリ所長に聞く - 1号:才能教育最前線─子どもの能力の多様性を認めた教育を求めて

 

虹色教室ではこのレンズーリの SEMを目指して運営しているそうです。

 

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こちらの虹色教室の記事から少し引用します。

 

 レンズーリの考えは、
子どもは学校で学ぶ画一的な学習とは別に、

自分で選択した分野で才能を広げて豊かにする機会

知識の生産者になる(創造的に成果を生む)機会

も必要というものです。
私もその通りだと思います。

子どもは
自分の興味のある分野で学習活動に参加する。
興味を共有する他の子どもや大人と情熱を分かち合う。
自分の能力につりあう深さとペースで、その興味を追求する。
興味ある分野に関係する成果を選択する。
直接的な探求者になる。
という時間や場が必要なんですね。

 

 まさにわたしがいま探しているのはこのような場です。

こどもが「これしたい」と思うことに関して、自発的に力を伸ばせる場所。そして、受身に知識を吸収するだけではなく、自分で考えてアウトプットしていくこと。工作でも絵を描くでも音楽の演奏でも、調べたことの発表でも。

 

 
今、子どもにとって勉強が面白くないのは

学びの中で他の子と共鳴しあう
他人と響きあう

という熱~い部分があまりにないからだと思います。

人が大金を出して流行を追うのも
今となればやる気が起こらないファミコンゲームにかつての子どもたちが熱狂したのも
互いを意識しあう人がいるからです。
物だけが与えられて、一人で身につけたり、一人で遊んでも面白くないはずです。

 

他のこどもや大人と響き合うっていいことばですね。そんなふうに響き合いながら学べる場があったらすてきです。

 

レンズーリの提案する拡充学習は、
学校でするとなると不可能とも思える一大事ですが、
家庭でするならちょっとした空き時間に
お金をかけずにやっていけるようなことばかりです。
拡充の幅をより広げるためには、おじいちゃんおばあちゃんや
近所の子の協力もいるかもしれませんが、アイデア次第で何とでもなります。

 

これはいい!

これから家庭で拡充学習をするために、いろいろ手立てを工夫してみようとおもいます。一緒にこういうことやってみたいと思う方がいたらぜひコメントなどでご連絡ください。アイディアなど出し合って情報交換できたら楽しいとおもいませんか? 

 

たぶんそれぞれの子供のタイプや才能の方向によって実際の活動の内容はさまざまになるでしょうし、直接取り入れることは難しいかもしれませんが、大筋の方向性でお互いに参考にできることはあるとおもいます。